古賀崇洋 古賀崇洋《頬鎧盃》

陶芸家
古賀崇洋の人気シリーズ《頬鎧盃》をご紹介します。
文:B-OWND
写真:堀内 祐輔

PROFILE

古賀崇洋

1987年福岡県に生まれる。2010年佐賀大学文化教育学部美術・工芸課程卒業。2011年より鹿児島県長島町にて作陶。2017年より福岡県那珂川町、鹿児島県長島町にそれぞれ工房を構え、現在2拠点で作陶している。

はじめに

酒は、神事や政事などに欠かせない存在として、そしてまたコミュニケーションツールとしても、長い歴史の中で様々な文化を形成してきました。酒を注ぐ器もまた、それに寄り添いながら様々な意味を与えられ、酒造技術の向上、飲食文化の形成にも大きな影響を受けながら、これまで様々な形が生み出されてきたのです。

とりわけ、現代人が酒を楽しむ席で使われる酒器は、これまでの常識にとらわれない、自由な発想のものが増え、新しい酒の飲み方・コニュニケーションを提案しています。いかに酒の美味しさを引き出せるか、またいかに豊かな時間・人間関係に寄与できるか、酒器にはこれらの作用も求められているのです。

九州で作陶を続ける若手の陶芸家・古賀崇洋は、日本の文化・美術史を意識し、独自の解釈を交えた磁器を、現代アートとして制作しています。今回ご紹介するのは、彼の人気シリーズ《頰鎧盃(ほおよろいはい)》。本作は、その名の通り、顎先から頰までをすっぽりと覆う鎧を模しており、盃に口を付けて酒を啜る際には、鎧を着けたような姿になるユニークな酒器です。

このモチーフとなっているのは、室町時代の終わりから江戸時代の初めにかけて作られた、変わり兜と呼ばれる防具です。古賀はこの盃を作ることで、世の中にどんなメッセージを放っているのでしょうか。

変わり兜の意思を継ぐ盃

《頬鎧盃 毅形 赤》

変わり兜とは、奇抜な表現がなされた兜で、実際の戦闘に着用されるものにも関わらず、戦での実用性とはまた別の美学を選択したものです。タコやムカデ、大きな三日月や「愛」という漢字まで、多種多様な意匠が表れており、現代の私たちにも新鮮な驚きを与えます。

その表現からは、世の中に打って出ようとする武将たちの覇気を感じるとともに、命のやり取りの場においても固有の美を主張し、楽しもうとするような、おおよそ現代人が理解の及ばないような精神までも見いだすことができます。

そして古賀は、これらの兜が用いられた時代の風潮と現代とに、共通するものを感じていると言います。

武将たちは、覇権を争って戦っていたじゃないですか。現代は戦争をしているわけではありませんが、SNSも発達していて、誰にでも発言力があり、覇権を狙える時代になりました。つまり、下克上が可能な世の中ともいえる。そういう意味で、戦国時代と重なる部分があるように感じています。

現代でのし上がろうと戦う人々は、いわば「現代の武将たち」と言えるかもしれません。《頰鎧盃》は、命がけで戦った武将たちへの共感に基づいて、彼らの志と誇り、強い意志を形にしたものであり、現代を生きる私たちを鼓舞するものでもあるのです。

強烈な個性発揮への憧憬

また一方で、変わり兜の「個性」という側面に注目する古賀の視線には、彼らが発揮した強烈な個性と意匠への憧憬の念が感じられます。

古賀は、次のような発言をしています。

《頬鎧盃 豪形 赤》
(ほおよろいはい ごうなり あか)

「現代のモノは、工程の効率化を求めることで、摩擦のないつくりやすい形状が一般化しています。消費者の価値観も、それに剃ったモダン・ミニマルが一般化していますし、ペイントやカラーリング技術の発達によって、製品の装飾は交換可能なバリエーションとして意味を剥奪されました。」

古賀崇洋氏

画一化をたどる現代の価値観を肌で感じ取りながら、変わり兜をモチーフとした作品を制作することで、古賀自身もまた、アーティストとして制作を続ける意味を問い続けているのです。

戦国武将をモチーフとしたシリーズ

このようなコンセプトが盛り込まれた《頰鎧盃》には、さらに個別にテーマが存在し、様々なバリエーションが展開されてきました。今回B―OWNDで販売を開始した《頰鎧盃》の5点のうち、織田信長、武田信玄、上杉謙信の3名の戦国武将をイメージした作品をご紹介します。

1、織田信長

《頰鎧盃 髑髏形 白金》
(ほおよろいはい どくろなり ぷらちな)

信長は、強いカリスマ性を持った人物として知られていますが、天下統一を果たすという大義名分のもと、残虐性を発揮し、多くの人を殺めた人物でもあります。まるで死神のような逸話がいくつも残る、畏怖の対象でもあるのです。本作では、これらのイメージから、髑髏形がとられています。

一方で信長は、物珍しい異国の文化を愛でた人物でもあります。プラチナというメタリックな素材、装飾性は、新しいものを好み、取り入れようとした彼の鋭い感覚を示唆しているのです。

2、武田信玄

《頬鎧盃 虎形 金》
(ほおよろいはい とらなり きん)

艶やかに輝く黄金の頰鎧は、牙をむき出しに相手を威嚇する虎形をしています。これは「甲斐の虎」と怖れられた武田信玄をイメージしてつくられました。

信玄は、智計に長けた武将として知られていますが、行政もよくし、その手腕もって甲斐を豊かな国へと導いた名君です。

彼の戦力を支えた豊かな財源は、甲州金と呼ばれる貨幣。信玄は、甲斐にあった金山をおさえ、甲州金の生産量を増やしたと言われています。「黄金」と所縁ある戦国武将なのです。

3、上杉謙信

《頬鎧盃 龍形 青銅》
(ほおよろいはい りゅうなり せいどう)

プリミティブな雰囲気を醸し出す青銅器風の頰鎧は、牙をむき出しに相手を威嚇する龍形です。これは、「越後の龍」と怖れられた上杉謙信をイメージした盃です。

古来より、龍は伝説上の生き物として、巨大で強い力を持った存在として崇められてきました。本作では青銅器風の表現を用いることで、「龍」という存在が受け継がれてきた長い歴史を示唆しています。

青銅器風の表現は、微妙に色を変化させながら、ところどころ色あせた表面を味わう楽しさがありますが、これは古賀が作陶に使用する九州・天草の岩を使わなければ出せない色でもあります。まさに九州の陶芸家としてのアイデンティティーが組み込まれた作品と言えるでしょう。

このように、形状に込められた思い、圧倒的な「個性」への追求、フォルムへのこだわりの末に生まれたのが《頰鎧盃》なのです。

もうひとつの意味

古来より、酒宴の席は、神聖な儀礼や政事における意思決定の場であり、さらには無礼講といった立場を超える祝祭の場として人の度量や心意気を見る機会でもありました。

しかしながら、現代においては、酒離れという言葉が示すように、こういった機会は減少傾向にあるようです。

このような風潮の中で、古賀が《頰鎧盃》を制作することには、もうひとつ、重要な意味があります。それは、ユニークな酒器を使うことで、より円滑な場づくりをし、酒宴=コミュニケーションの場を盛り上げる契機とすること。つまり、歴史の中で育まれてきた酒宴の密度を恢復しようとすることでもあります。

長い歴史の中で育まれてきた伝統工芸である陶磁器。

現代を生きるアーティストとして、どのような作品を制作していくのかという問いは、常に絶えないものです。それに対して古賀は、造形的な刺激を与えることで、作品に新たな意味を与え、手にした人々へ新鮮な驚きを感じさせる作品を制作することを意識し続けているのです。

B-OWND作品販売ページ 

https://www.b-ownd.com/artists/qQPtWL/works 

B-OWNDアーティストページ 古賀崇洋 

https://www.b-ownd.com/artists/qQPtWL