井上祐希 これからの有田焼を思い描く|陶芸家・井上祐希インタビュー(後編)
現在は、窯の経営者でもある。
「若い人たちにもっと有田焼を知ってほしい、そのきっかけづくりをしたい」
そう語るとおり、ファッションブランドとのコラボレーションなどを中心に、
ジャンルに囚われない活動展開をしてきた。
恵まれた環境ゆえの葛藤を抱えながらも、自分らしさを追い求めたその先に見出した表現とは?
等身大に生きるひとりのアーティストとして、今考えていることについて聞いた。
構成・編集・写真:B-OWND
PROFILE
井上祐希
1988年、佐賀県生まれ。2011年、玉川大学芸術学部卒業。同年、株式会社ユナイテッドアローズに入社。2012年より、祖父であり人間国宝の井上萬ニに師事。現在は井上萬ニ窯を経営しながら、ファッション業界とのコラボレーションなども積極的に行う。受賞歴は、2018年、佐賀県美術展 入選、2019年、有田国際陶磁展 入賞、2020年、日本伝統工芸展 入選など多数。
自分らしい表現を模索する日々の中で、見えてきたもの
―大学卒業後、1年間のアパレル勤務を経て、始まった窯での修行ですが、まずはどんなことから始めたのですか?
井上 まずは「土捏ね」からですね。土の中の空気を抜く作業なんですが、最初はこれをひらすらやっていました。土の塊をまず200回捏ねて、さらに上下をひっくり返して200回。それが終わったら、その土をロクロにのせて、上げたり下げたり。土を整え、うまくコントロールできるようにする練習です。体力作り・体作りも兼ねていると思うんですが、初めは体力がなくて全然ついていけませんでした。腕もパンパンになるし。10時と15時に10分休憩があるんですが、最初の頃はその10分さえも横たわってしまうくらい、疲れてましたね。
―ご自身の作品を作り始めたのは、いつ頃でしょうか?
井上 1年目から作っていました。始めた頃は、萬二窯っぽいというか、やっぱり祖父や父みたいなテイストでやっていかないといけないのかな? と思いながら制作していましたが、それが全然楽しくなかったんです。何か違うなって。これではよくない、もっと楽しまなきゃなって思ってから、少しずつ自分の好きなことを取り入れたり、心が動くワクワクすることを優先したりしてやり始めたら、次第に自分のスタイルが見えてきたという感じですね。
その好きなことの1つがストリートカルチャーなんです。
―井上さんの作品からは、グラフィティアートの影響を感じますね。
井上 原体験のようなものがあって。それは、小学生の頃、母や祖母に連れられて博多の街に遊びに行く途中、電車の窓の外を眺めていると、突然線路沿いや高架下に見たこともない絵が現れたんです。スプレーやペンキのしぶきが飛び散り、滴る様子や、鮮やかな色づかい、即興的な表現が新鮮でした。なんだこれ、と思っていると、都市に近づくに連れてどんどん増えていく。「あんなところにある!」って見つけるのも「どういう意味なんだろう」って解読するのも楽しかった。その後、その文化的歴史的な背景を知るようになって、徐々に憧れにも似た感情を抱くようになりました。
グラフィティアートって、そもそもはパブリックな建物や乗り物・壁に、人の目を避けながら作品を残すものなんです。権力に抗い、自己を主張し、拡散し続けるそういう行為や姿勢自体になにか感じるものがあったんですよね。最近はアートとして認知されつつありますが、もともとはちょっと悪いことじゃないですか。
僕は不自由のない環境で育ててもらって、家業も抵抗なく受け入れて今に至っていますけれど、だからこそ彼らが逆境を乗り越えていく原動力である、ハングリー精神や反骨心、故郷を代表し、背負ってのし上がっていく、そういった力強さに惹かれるのかもしれません。今では、ストリートカルチャーのファッションも音楽もアートも僕の人生の一部です。だからこそ作品の表現にも自然に表れてきたのだと思います。
これからの有田焼を思い描く日々
―有田焼は装飾が豪華な焼き物というイメージですが、萬ニさんの作品は磁器本来の美しさをシンプルに引き立てていますよね。井上さんの作品からは、そういった窯の特色と、ストリートカルチャーに影響を受けたご自身の表現との繋がりを感じます。
井上 そうですね。萬ニ窯の井上祐希として、受け継がれてきたものに自分らしいエッセンスを加えていきたいという思いの一方、祖父や父とはまた違った魅力を持つ作品を作り上げていきたいという思いがあります。たとえば、B-OWNDにも出品している《Dripping Bowl GRAY》は、磁器の本来の美しさを意識し、「釉滴(ゆうてき)」という技法を使っています。
この技法は、たっぷり釉薬を含ませた筆を振るように動かして滴らせるもので、スピード感ある模様が偶発的に浮かび上るというものです。自分で完全にコントロールできないところや個体差が出るところが、僕にとってすごく魅力的で。自分が思い描いたとおりにきちっと作り込んでいくのではなく、自分でも計算できないところに面白味があると思います。萬二窯もそうですが、有田焼自体、スマートで端正な、「整った美しさ」が特徴だと思います。そんな中で育ってきたからこそ、真逆のものに強く惹かれるのかもしれません。
―新作はさらヴィヴィットで、より大胆な筆致になりました。
井上 今回は、黒・白・瑠璃の三色で構成しています。複数の色を組み合わせたのは初です。黒は、もともと有田焼で絵付に使われる「呉須(ごす)」と呼ばれる顔料で、瑠璃は「瑠璃釉」という、こちらも有田焼の定番の色を使用しています。通常、僕は直接器に筆をつけない技法を用いていましたが、呉須の部分は、筆で直接、器に描いているんです。それはもともと呉須が、絵付け(描く行為)に使われていたから。
複数色を使うことでレイヤーが生まれ、より動きや深みがでましたし、筆の強弱の変化、スクラッチ(走り書き、擦れ)によって「偶然性」や「即興性」、「存在の主張」が以前よりずっと強調された思います。
こんな感じで、有田焼の特徴を活かしながら、どう自分の表現に落とし込んでいくかということを考えながら制作しています。僕の作品が、有田焼の認知の向上に繋がってくれたらうれしい、そういう思いがモチベーションとしてあって、制作のこだわりになっていますね。
―現在井上さんは、アーティストでありながら、窯の経営者でもいらっしゃいます。どんなことを大切に活動していらっしゃいますか?
井上 実は昨年、父が他界しまして。今まで父が担ってくれていた役割を、今度は僕が一手に引き受け、祖父をサポートしながら、窯の経営を考えていく状況になりました。たとえば、萬二窯をもっと多くの人に知ってもらうためにはどうしたらいいのか? 今後も長く運営していくためにどうしたらいいか? そんな不安を抱えつつも、次の世代に残していけるように後継者についても考えていく必要があります。
やらなくてはならないこと、考えないといけないこと、そして自分自身がやりたいこと、それぞれのバランスが大切だと感じています。
―井上さんは、コンクールにも積極的に挑戦されいらっしゃいますね。
井上 伝統工芸展で受賞を重ねると、人間国宝の候補に選ばれるということもあり、着実にキャリアを積み重ねられる道ということで、祖父からは積極的に挑戦することを進められています。最近まで僕自身もそれを目指していたんですが、ちょっと違和感もあって。なぜかというと、入賞するためにはそこで評価される作品を作ろうとしてしまう。僕が作りたい・僕らしい表現では、伝統工芸展では評価されにくいと感じています。祖父が言うように受賞を目指して作品を作る道もあるのでしょうが、これからの時代、必ずしもそれだけではないような気もしています。
祖父の時代とは異なり、今は作家自身は個人で情報を発信できる時代です。実際、僕自身もInstagramで作品や窯の情報はもちろん、趣味のファッションや日常について投稿していたところ、ファッションブランドの方の目に留まり、コラボレーション作品の制作という仕事に繋がりました。自分が本当に好きなことを発信していたからこそ繋がったご縁ですよね。やはり、よい作品作り、よい仕事をしていくためには、自分自身が楽しむことを忘れないことが何より大事な気がしています。窯の運営も作品作りも、自分らしくのびのびとやっていくにはどうしたらいいか、まだまだ模索が続きますね。
―最後に、井上さんにとって「有田焼」とはなんでしょうか。
井上 多くの人に自分を知ってもらえるのは「有田焼」の看板があるからこそだと思います。「有田焼」と「萬二窯」があったからこそ、なかなか会えない人に会えたり、体験できないことを体験できたり、優遇されてきた部分も多いと自覚しています。だからこそ、恵まれた環境で育ってきたことを感謝し、支えてくれた「有田焼」をもっと発展させたいし、後世に残していきたい。
自分の窯だけでなく、有田の町全体で結束していくことも必要になってくるかもしれませんね。陣取り合戦ではなくて、お互いの強みを生かし、補い合うことで「有田焼」の伝統を守る。そんな風にやっていくことでよりよい未来が開ける気がします。
有田は今、後継者不足の問題もあります。今僕自身がやるべきことはきっと、これからもチャレンジ精神を大切に活動していくこと。モノが溢れている時代だからこそ、あらためて「有田焼」のよさを知ってもらえるように、そして「祐希さんの作品だから買いたい」と思ってもらえる作品を作り続けられるように、僕自身も魅力的な存在に成長してきたいですね。
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