ニューヨークで日本のクリエイターをサポートする|アートディレクター・戸塚憲太郎氏インタビュー

現在、ニューヨークでギャラリー「NOWHERE」のディレクターを務める戸塚憲太郎氏は、
現地で活動する日本人クリエイターを積極的にサポートしています。
日本発のファッション会社「アッシュ・ペー・フランス」に入社後、
自らアート事業部を立ち上げ、以来アートディレクターとして、ギャラリーの運営に携わってきました。
東京とニューヨーク、2つの都市を往来しながらクリエイションの現場を注視し、作り手のサポートを続ける戸塚氏に、
企業におけるアート事業の運営の考え方やこれからの現代アートや工芸をめぐる展望について、お話しいただきました。
執筆:篠原 悠
編集:B-OWND

PROFILE

戸塚憲太郎

1974年、北海道生まれ。武蔵野美術大学で金属工芸を専攻したのち、97年に彫刻家を志して渡米。2004年に帰国し、アッシュ・ペー・フランスに入社。同社のアート事業部の立ち上げに携わり、07年に「hpgrp GALLERY TOKYO」を開設。16年の再渡米を経て独立。現在はニューヨークのギャラリー「NOWHERE」のディレクターとして、現地を拠点に活動する日本人クリエイターのサポートを行なっている。

ライフスタイルを形づくる「クリエイション」の視点から、アートを考える

―戸塚さんは現在、ニューヨークのギャラリー「NOWHERE」でディレクターを務めていらっしゃり、企業のアート事業に長く携わってこられたご経験をお持ちです。こうしたお仕事を始められたきっかけは、どういったものだったのでしょうか。

戸塚 大学時代は金属工芸を学んでいたのですが、彫刻への興味が湧いたことをきっかけにニューヨークへ渡り、彫刻家を目指してしばらく活動していました。自分の作品を大きなブティックで展示する機会があり、その際に、日本のファッション企業であるアッシュ・ペー・フランスの代表と知り合いました。これをきっかけに、アッシュ・ペー・フランスが主催する、ファッションブランドの合同展示会の事業に関わることになり、日本に帰国しました。

代表が合同展示会にアートも取り入れたいと考えていたので、そのチームに入り、会場でアーティストの展示をしたりもしました。ですが、合同展示会はファッション業界のバイヤーやジャーナリストを対象としたビジネスの場なので、どうしてもアートは補足的な扱いになりがちでした。そこで、アートだけの事業部が必要なのではないかと考え、代表に掛け合った結果、アッシュ・ペー・フランスにアート事業部が設立されることになりました。そうしてできたのが、今も表参道にある「hpgrp GALLERY TOKYO」です。

hpgrp GALLERY TOKYO での展示の様子

―その後、再渡米と独立を経て、NOWHEREのディレクターに就任されたそうですね。

戸塚 当初は、2016年にhpgrp GALLERY TOKYOのニューヨーク支店を設立するために渡米しました。その後、19年にアッシュ・ペー・フランスから独立したのですが、ちょうどその時期に、今のNOWHEREのオーナーと知り合ったんです。彼はニューヨークを拠点に頑張っている日本人のクリエイターをサポートしたいと考えていて、私と志も似ていたので、一緒にやりましょうということでNOWHEREの事業に参加し、2019年にグランドオープンしました。hpgrp GALLERY TOKYOに関しては、現在は社外のディレクターとして契約し、引き続き運営に携わっています。

―hpgrp GALLERYは、ファッションの会社が展開するアート事業ということですが、本業との関係ではどういった方向性を目指されていたのでしょうか。

戸塚 アッシュ・ペー・フランスの創業社長にとって、「クリエイション」という点では、シャツを一枚売るのも、絵を一枚売るのも、一緒だという考えがあったと思います。つまり、どちらもクリエイションに対する情熱がないと出来ないのではないか、ということですね。そして、当時からアッシュ・ペー・フランスでは、家具や陶器なども含めた、今でいうライフスタイル全般を扱っていました。クリエイションという一点において、アートとファッションの間に特別な線引きはなかったと思うんです。

―そうした観点に立ったときに、取り扱うアーティストや作品について、会社としての基準はあったのでしょうか。

戸塚 より多くの人たちにアートを届けるということが、アッシュ・ペー・フランスという会社の事業としてギャラリーをやっているミッションのひとつだと思っています。ライフスタイルの中にアートがある、というイメージですから、特別なものというよりは身近なものというイメージですね。たとえば、普段あまりアートを見ない人たちや、たまたまアートに出会った人たちも付き合っていけるように、なるべく幅広いアーティストと関わっていきたいと思っており、そういった視点で選定をしています。

NOWHERE での展示の様子

―NOWHEREに関しては、アーティストの選定基準はあるのでしょうか。

戸塚 NOWHEREには、ひとつ大事な基準があって、それは「ニューヨーク在住の日本人」ということなんです。ニューヨークでは、常に多くの才能あるアーティストがしのぎを削っています。つまり、NYを拠点に活動しても認められることが難しいのに、まして日本から来て一度展示をしただけで、活動のベースができるはずもないということですね。オーナーも同じことを考えていたので、ニューヨークにコミットした人だけをサポートしようと決めました。

―なるほど。これまで展示されてきたなかで、手応えがあったアーティストや、注目されている日本人アーティストはいらっしゃいますか。

エキソニモの展示風景

戸塚 手応えがすごくあるのは、ブルックリンに住んでいる、エキソニモという2人組のアーティストですね。NOWHEREでも、2回目の個展を開催しました。また今年の5月に、エキソニモの個展という形で「NADA」というアートフェアに出展し、『ニューヨーク・タイムズ』にも写真付きで掲載されるなど、かなり注目されました。彼らの作品は、今流行りのNFTなどを取り入れながらも、デジタルな要素だけではなく、フィジカルな要素が必ず関わってくるんですよ。テーマもアイロニックというか、いつもユーモアを交えて世の中を見ている感じなんですよね。そういう部分で評価されていると思います。

―ニューヨークでは、NFTが浸透している印象をお持ちですか。

戸塚 そうとも言い切れないですね。NFTをやりたくても、どうやって保有するのかを知っている人も少ないし、できない人が意外と多いです。それ以前の問題で、「NFTって何?」という人もすごく多いので、まだまだ全然浸透していない印象ですね。言葉ばかりが先行している感じがします。

海外の現場から見る、日本の現代アートや工芸のこれから

―これまで世界のアート作品を目にしてきた戸塚さんから見て、日本の工芸の特徴については、どういったものがあると考えられていますか?

戸塚 日本は特に工芸に関しては、素材や技術に対してすごく敬意を払うジャンルだと思います。コンセプトとか、アイデアとか、作品の背後にある理由や根拠みたいなものよりも、何の素材を使っているかとか、どうやって作ったかという技の方に重きがあるのだと思います。

―ニューヨークでは、日本の工芸作品はどのようなものとして認識されているのでしょうか。

戸塚 一言で言うと、異国情緒だと思います。いわゆる現代アートの観点から考えれば、異国情緒というのはアート的な価値とは違うんですよね。現代アートの場合、たとえば新しさや、誰も考えたことがないコンセプト、今の社会を反映していることなどといった評価の基準があると思いますが、工芸的なものはそこに入ってこない。技術的にはすごいけれども、それはテクニカルなすごさで、アート的な価値ではないと。なので現代アートの中には、いわゆる伝統工芸のポジションというのはまだないですよね。でもそこに無理に入る必要は全くないと思います。現代アート的な価値よりも、技術や素材が好きな人がいるわけですから、その人たちに響けばいいのだと思います。

―異国情緒でありながらも、それを逆手に取ることで違う視点を作れるようにも思いますが、いかがでしょうか。

戸塚 本当にそうですね。異国情緒と受け取られているものを、オリジナリティに転換できれば、強みになると思います。しかも現在は世界的に、これまでアートヒストリーというものをずっと作ってきた白人男性文化が、そうじゃないんじゃないの?と言われ始めている時代ですよね。

今後の活動の展望について

―グローバルな価値基準を意識せずに作られている作品の中にも、グローバルなものとの繋がりを見つけることで、価値が生まれることもあるかと思います。そうした価値づけをするプロデューサーのような人は、日本に少ないと感じられますか。

戸塚 少なくはないと思います。ギャラリーもたくさんあるし、 多くのギャラリーが海外のアートフェアにも出展していますが、ただしそれは個人レベルにとどまっていて、組織的な動きはできていないと思います。企業やギャラリーがもう少し束にならないと、存在感を出すのはきっと難しいでしょうね。ニューヨークにおいては、日本の存在感はかなり小さいので、もっとまとまることで目立ってくると思います。

戸塚 東アジアで言えば、中国や韓国はレベルの高い教育を受けさせるために積極的に海外に行かせようという考えが昔からあって、現在もその流れのなかにあります。日本の場合は、余裕がある時代はやったけど、今はそこまで続いていない。それから、中国も韓国も、移民になることが歴史的に多かった。その地に行って、自分たちの街を作って家族も呼んで、移民になるということが、日本の場合は少ないですよね。そういう意味でも、海外での日本の基盤というのは、かなり弱いと思います。出版物についても、おそらく日本語の難しさのために訳しづらいことがあり、あまり読まれていないように思います。

プロデューサーやギャラリスト、ディレクターというのは、翻訳者だと思うんです。作品の解釈を分かるように伝える仕事が、重要なのだと思います。

―戸塚さんご自身は、今後の活動について、どのような展望をお持ちですか。

戸塚 ニューヨークはコロナ以降、だんだんと住みづらくなってきています。それでもニューヨークには、ほかにないたくさんの才能やチャンスが溢れており、それは他に代えがたい大きな魅力です。今後もここに住み続けて、素晴らしい日本人アーティストの作品を、たくさんの人につなげていくための活動を続けていけたらいいなと思っています。