谷川美音 心地よいかたち―漆芸家・谷川美音インタビュー(前編)
従来の漆のイメージを覆すように、自由に世界を捉え、描く谷川美音。
学生時代より漆芸の分野でさまざまな立体作品に取り組んでいたという谷川が、
現在の作風へと至った経緯を聞きながら、
漆という長い伝統をもった素材とどう向き合っているのか、
また現代のアーティストとして何を表現したいのかを聞いた。
作品写真:石上 洋
PROFILE
谷川美音
1988年、京都府生まれ。2013年、京都市立芸術大学 大学院美術研究科修士課程 漆工 修了。 受賞歴は、2013年、京都市立芸術大学作品展 大学院市長賞、2017年、第12回大黒屋現代アート公募展 入選など。また、成田国際空港 JALファーストクラスラウンジ、レクサス四日市などに作品がコレクションされているほか、近日開業予定のザ・リッツカールトン・南京にて作品の常設が決まっている。
自然のかたちを描く
――谷川さんの作品といえば、なにかの軌道のような勢いのあるかたちを軽やかに捉えていて、色彩も鮮やかですし、「漆」という素材の新しい一面を引き出していらっしゃるなと感じています。この軽やかな形体は、ドローイングをもとにされているということですが、そのドローイング自体にモチーフはあるのでしょうか。
谷川 はい、あります。ほとんどが自然ですね。身近な場所からインスピレーションを受けることが多いのですが、自然のなかに身を置いて、その風景を見渡し、草木や山、風、光など、かたちあるものからないものまで、空気感というか、その場で感じた気持ちよさを自分の中に取り入れて、その感覚が消えないうちにドローイングを描いていきます 。
――ドローイングという瞬間的なものが、漆という耐久性の高い素材によって、数百年先もその姿を残していくかもしれないと考えると、面白いですね。たとえばB-OWNDに出品いただいている《drawing_l_d-b》は、何がモチーフなのでしょうか。
谷川 この作品は、水、もしくは水の音がモチーフで、何かに当たって跳ねたときのイメージです。普段は単色にすることが多いのですが、これは縦長なので、動きの緩急をつけるような色の表現ができたらいいなと考え、ぼかし塗りにしました。中央部分、水が跳ねているところを明るい色彩にし、上と下、重力に従って落ちていくところは暗い色にしています。暗い色の部分は一見すると黒に近いのですが、実際には青の上に透漆を重ねることで透明感のある深い青になっています。
――こちらは磁石で壁付けするのですね。この作品があったら、部屋に清麗な雰囲気が取り入れられそうです。
谷川 制作するときは、その作品がどんな空気を纏うものにしたいか、どう周りの空気を取り込んでいけるかを考えます。幼い頃から建築や空間などの場に興味があったので、きっとそういう意識が作品にも反映されているのだろうと思います。実際に作るのはモノだけれど、その作品が置かれる空間や空気ごとつくる意識で制作しています。
漆と向き合う時間にこそ意味を見出したい
――そういった空間への意識のほか、作品を制作される上で大切にされていることはありますか。
谷川 いつも時間について考えています。もっと具体的に言うと、漆を扱う時間についてですね。私の作品は塗る・研ぐ(※1)という反復の作業に一番時間がかかるのですが、この時間と、漆芸の作業性を自分の中でいかに消化していくか、向き合っていくかを考えていて。
私は制作しているとき、呼吸がしやすいなと感じるんです。心が安らぐというか「生きている」と実感するような感じですね。
呼吸も吸って吐いての反復ですし、漆を塗って研いでという反復の作業が、自らの呼吸と重なってくるような感覚です。そうなると、制作することが自分の生活、そして人生ともリンクしてくるんですよ。
制作という行為を単なる反復作業じゃなくて、自分の中で意味を見出しながらやっていきたいというのがありますね。
――たしかに、漆芸って何層も何層も漆を塗り重ねる工程があり、けれど出来上がった作品からはそれが見えにくい、ということがありますね。
谷川 大学院の修了制作で、透き漆(※2)をなんども重ねた層を可視化するような作品をつくりました。すり鉢状の作品だったのですが、研ぎ出した際に蒔絵でその層を塗った日付を記録として書いていったんですね。それをなんども繰り返していくと、最初に塗ったほうが下層になっていくから、だんだんと字が消えていって、グラデーションになっていきます。これで、漆を塗り重ねた回数、ひいてはそこにかけた時間を見せることができるかなと。
――これも漆との時間を考えた作品のひとつということですね。この作品は野外で展示されたのですか?
谷川 はい。漆は紫外線に弱いので野外に展示されることはほどんどないのですが、人工の光のもとで見る漆と日光の下で見る漆はやはり違って、それを見ていただきたいと思いました。
あともうひとつは、空を映してみたいという発想からです。一週間くらい野外に展示しましたが、鏡面のように仕上げてあるので、そこに朝昼夕の空や、周りの風景、のぞき込む人々が映りました。お天気によってはメタリックにも見えましたし、さまざまな世界が映るのが面白かったですね。
――なるほど、漆という素材の特徴を引き出し、さらに周りの風景を取り込んでいくような作品という点で、現在の作風へとつながるものがありますね。
この記事でご紹介した作品
WORDS
※1 塗る・研ぐ
漆芸は、漆を塗り重ねることでふっくらとした美しさが生まれる。漆を1回塗るごとに、砥石などを使って表面を傷つけながら、表面の凹凸を整える必要がある。これによって漆の付きがよくなり、よりなめらかな表面に仕上がる。数十回にわたって重ねることもあり、手間と時間がかかるが、漆芸作品を制作する上で抜かすことのできない重要な工程である。
※2 透き漆
すきうるし 生漆の水分を飛ばし、透明度を高めたもの。採取時期等によっても色合いが異なるが、完全な透明ではなく、飴色をしている。