あなたのそばに、富士山

LIFESTYLE
新しい年を寿ぐのに欠かせないアイテム、富士山。
今回は、身の回りの富士山にスポットあててみたいと思います。
構成・文:ふるみれい

新年と富士山

2020年、年が明けました。この一年が実り豊かな年になりますよう。そして、今年もB-OWNDをどうぞよろしくお願いいたします。

新年、よく目にするようになったモチーフがあります。その一つが富士山ではないでしょうか。カレンダーを彩る写真が富士山だったり、年賀状の図案に登場したり。実際にご来光を仰ごうと富士山に登る人、空の上から初日の出や富士山を眺めるフライトを楽しむ人などなど、富士山はいつにも増して人々の注目を集めます。新しい年を寿ぐには、富士山は欠かせないアイテムのようです。

冬の富士山

富士山と新年のつながりは、今に始まったことではありません。江戸の昔、江戸の町から元旦に初めて眺める富士山は「初富士」と呼ばれ、おめでたいものと考えられてきました。また、「一富士二鷹三茄子」という句は、初夢に見ると縁起が良いものを順番に示したものですが、その筆頭も富士山です。

江戸の人々にとって、富士山は日常的にも親しい存在でした。例えば東京のあちらこちらに、富士見坂と名づけられた坂があります。人々がいかに富士山の眺望を大事にしていたのかが想像できます。また、現在の日本橋室町は、かつて「駿河町」と呼ばれていましたが、ここから眺める富士山は江戸一といわれていました。駿河町の名は江戸城越しに駿河の国の富士山が臨めることに由来するそうです。

それにしても、そもそも富士山はなぜこんなにありがたがられ、そして特別に思われてきたのでしょう?その理由は、日本一の高さを誇る単独峰の壮麗な姿に加えて、富士山の特徴にあったようです。

富士山は活火山です。平安時代には延暦大噴火(800〜802年)、貞観大噴火(864年)が起きています。古来、噴煙を上げている富士山は珍しい光景ではなく、煙をたなびかせ、夏でも山頂に雪を頂いている富士山、そして麓に巨大な湖をもっていた富士山(巨大な湖・石花の海は、貞観大噴火で西湖・精進湖に分かれました)を、人々は畏怖・畏敬の念をもって眺め、聖なる山として信仰の対象としてきました。余談ですが、江戸時代にも宝永大噴火(1707年)といわれる大規模な噴火が起きています。

鎌倉時代、室町時代と時代を経るにつれ、戦国武将や一部の権力者たちが富士山への遊山を楽しむようになります。そして、それが庶民にまで広がったのが江戸時代でした。江戸時代はさまざまな社会的条件も整って、富士講による富士登拝が大流行、江戸八百八町講中八万人と言われるほど、富士山は信仰という点でも、観光の地としても、庶民に親しまれていきます。 江戸に幕府がおかれるようになったことで、江戸の地から望める富士山は、江戸の風景になくてはならないものになっていきます。

手をのばせば、そこに富士山

ところで、東京を拠点に考えたとき、今の時代でも思い立ったらすぐ、とはいかない程度に富士山は遠くにあります。ですが、関東地方、特に東京にお住まいの方。実はあなたの近くにも、「富士山」があるかもしれません。

その「富士山」とは、実は富士塚のことです。富士塚は、富士山を模して人工的に作られた築山で、富士登拝が盛んになった江戸時代、江戸にいながらにして、富士登拝を行える場所となっていました。富士山のお山開きの日には、富士講の人たちが集まって、富士塚に皆で登り、儀式を執り行っていたそうです。

東京都渋谷区千駄ヶ谷の鳩森八幡神社の富士塚。当時の場所に残っている富士塚としては都内最古(寛政元(1789)年)といわれています。頂上部には富士山のボク石が使われています

千駄ヶ谷富士登拝記念の御朱印

身近な富士山はまだあります。たとえば各地の、郷土富士です。江戸が日本の中心となったことで、富士山のイメージは、近代以降も、日本の象徴として全国各地に流布していきます。そうして人々は富士山に姿が似ている郷土を代表する山に、○○富士、と名付けて故郷の誉れとしてきました。蝦夷富士(北海道/羊諦山)、津軽富士(岩手県/岩木山)、美作富士(兵庫県・岡山県/日名倉山)、讃岐富士(香川県/飯野山)、薩摩富士(鹿児島県/開聞岳)といった郷土富士が日本全国に点在しています。

芸術と富士山

そして富士山は、詩歌や絵画など、芸術の対象でありインスピレーションの源泉になってきました。文学でいえば、万葉集の山部宿禰赤人の「「不尽山(ふじのやま)を望(まつ)る歌一首」の長歌に対する反歌、「田子の浦ゆ 打ち出でて見れば 真白にぞ 富士の髙嶺に 雪は降りける」が知られています。この歌は、富士山を詠んだ最も早い歌の一つといわれ、後に百人一首等で改作されたものが、世に広まりました。『竹取物語』で、かぐや姫から受け取った不老不死の薬を燃やしてしまおうと、帝が月に一番高い場所として選んだのも、また富士山でした。『聖徳太子伝暦』は、聖徳太子が甲斐の黒駒に乗って、雲を駆け富士山を飛び越えたという話を伝えています。その後も浪曲や小説の舞台としてたびたび富士山は文学作品に登場します。

そして美術の世界を見ると……これはもう枚挙に暇がありません。富士山を描いた作品として誰もが思い描くのは、「神奈川沖浪裏」、「凱風快晴(赤富士)」に代表される葛飾北斎の「富嶽三十六景」ではないでしょうか。北斎はこの三十六景以外にもさらに十景を描いていて、合計四十六景の富士山を表しています。北斎と並ぶ浮世絵界の双璧の一人、歌川広重は「不二三十六景」を描いています。

近代絵画の中で、富士山を描き続けた画家として知られているのは横山大観でしょう。「雲中富士」「霊峰不二」「霊峰飛鶴」といった富士山を題材にした作品を、生涯に1000点以上描いたといわれています。梅原龍三郎も多くの富士山を作品に残していますし、山肌の赤、青が印象的な片岡球子の富士山のシリーズもあります。 富士山が世界文化遺産に登録された際の理由として、「芸術的関連性」が指摘されていますが、やはり富士山は、長い歴史の中で日本の芸術に大きな影響を与えてきたモチーフであるといえます。

こうして見てくると、実は私たちは、身近なところにたくさんの富士山を配してきたようです。富士塚の富士山、アートのなかの富士山。私たちはいろいろなカタチで富士山の力をかりて、つつがない日々の暮らしを願ってきたのかもしれません。

新春、富士山展へ

さて、2020年1月7日から、『富士山展』が日本各地ではじまります。富士山展は毎年年始に開催され、来年で4回目。今回は「富嶽二○二○展」を副題に、富士山を多様な領域・視点から捉えた現代工芸の数々が、リアルな空間とオンライン上のアーカイブシステムを使って展開されます。B-OWNDも富士山を新たな視点で捉えた作品をそろえ、京都のギャラリー、engawaKYOTOに出展します。

富士山は現代の作家にどんなインスピレーションをもたらしているのでしょうか。ぜひ会場にお運びください。そして、お気に入りの富士山を探してみてください。富士山はあなたのすぐそばにあります。

【展示会情報】
富士山展3.0 -冨嶽二〇二〇景-
https://fujisanten.com/
2020年1月7日(火)-10日(金)・14日(火)-1月17日(金)
開場時間︰午前9時~午後9時(最終日17日(金)は午後6時まで)
閉 廊 日︰11日(土)・12日(日)・13日(祝)
会場 the gallery @ engawa KYOTO
〒600-8412 京都府京都市下京区二帖半敷町647 オンリー烏丸ビル1・2F
アクセス
JR「京都駅」より地下鉄烏丸線2駅「四条駅」4番出口より徒歩10秒
阪急京都線「烏丸駅」23番出口より徒歩2分
https://engawakyoto.com/

▼B-OWND展示(敬称略)
参加アーティスト:若宮隆志、加藤亮太郎、ノグチミエコ、市川透、中村弘峰、奈良祐希、古賀崇洋

▼併設展示:浮世絵デジタルミュージアム 〜浮世絵で巡る富士山への旅〜
3万点もの浮世絵コレクションを保有する浅井コレクション監修による、デジタル浮世絵ミュージアムです。
高解像度の8Kモニターで、色鮮やかな浮世絵を体感できます。

富士山展出品作品(抜粋)
(左上から)ノグチミエコ、若宮隆志、加藤亮太郎、市川透、
中村弘峰、奈良祐希、古賀崇洋 ※敬称略

WORDS

【参考資料】 天野紀代子・澤登寛聡編(2007). 『富士山と日本人の心性』, 岩田書院. 認定NPO法人 富士山世界遺産国民会議/ 富士山 芸術と文化の山(accessed on 22 December, 2019) https://www.mtfuji.or.jp/knowledge/cultural_values 平井修成(2012).文化としての富士山―変転する象徴, 常葉学園短期大学紀要, (43), 1-9. 国会図書館/ 錦絵で楽しむ江戸の名所 駿河町(accessed on 22 December, 2019) https://www.ndl.go.jp/landmarks/sights/surugacho/ 松井圭介・卯田卓矢(2015).近世期における富士山信仰とツーリズム, 地学雑誌124(6), 895-915. 鈴木清(2005). 『富士憧憬―ふるさと富士を訪ねて北海道から九州まで』, 文芸社. 田中絵里子・畠山輝雄(2015). 日本人の富士山観の変遷と現代の富士山観, 地学雑誌124(6), 953-963.