井上祐希 これからの有田焼を思い描く|陶芸家・井上祐希インタビュー(前編)

陶芸家
井上祐希は、人間国宝の祖父を持つ、有田焼の若手陶芸家。
現在は、窯の経営者でもある。
「若い人たちにもっと有田焼を知ってほしい、そのきっかけづくりをしたい」
そう語るとおり、ファッションブランドとのコラボレーションなどを中心に、
ジャンルに囚われない活動展開をしてきた。
恵まれた環境ゆえの葛藤を抱えながらも、自分らしさを追い求めたその先に見出した表現とは? 
等身大に生きるひとりのアーティストとして、今考えていることについて聞いた。
取材・文:大熊智子
構成・編集・写真:B-OWND

PROFILE

井上祐希

1988年、佐賀県生まれ。2011年、玉川大学芸術学部卒業。同年、株式会社ユナイテッドアローズに入社。2012年より、祖父であり人間国宝の井上萬ニに師事。現在は井上萬ニ窯を経営しながら、ファッション業界とのコラボレーションなども積極的に行う。受賞歴は、2018年、佐賀県美術展 入選、2019年、有田国際陶磁展 入賞、2020年、日本伝統工芸展 入選など多数。

有田焼に新風を吹き込む若手陶芸家

新作《Dripping Scratch Ware》
写真:木村雄司
2021年5月28日(金)18時より販売開始
作品の販売ページはこちら

―井上さんは、窯を継ぐ三代目として幼いころから将来を嘱望されていたと思いますが、いつごろからご自身でも陶芸の道に進もうと思われたのですか?

井上 僕が幼稚園に通っていた頃、祖父が人間国宝になったんです。そうすると、周りの大人たちは僕に「将来は人間国宝だね」って、冗談交じりに言うんですよ。そういうこともあって、自分でもいつの間にか役割を意識するようになりました。ただ、改めて思い返してみても、子どもの頃に祖父や父から「後を継げ」と言われたことはないですね。大学でも自分の意志で陶芸を専攻しましたし、進学後にはさすがに「卒業したら有田に帰ってきて、窯の修行をしなさい」と言われていましたが、自分でも「長男だし、他に継ぐ人もいないし、当然そうだな」と(笑)。

―自然に受け入れられたのですね。実家に戻られてからは、祖父の萬二さんに師事されたとのことですが、井上さんにとってはどのような存在なのでしょうか?

重要無形文化財指定(人間国宝)・井上萬ニ氏の作品
画像提供:井上祐希

井上 陶芸家としての祖父は、当代随一の白磁の名手と言われるとおり、高い技術の持ち主ですし、周りの人たちからも本当に尊敬されていると思います。誰に対しても、物腰柔らかで、声を荒げることはないですね。僕の作品に関しては、褒めてくれることもあれば、「あんまり好きじゃない」と言われたこともありますが(笑)。ただ「こうしなさい、こういうものを作りなさい」と言うことはなく、自由にやらせてもらっています。 

「形そのものが文様である」と、加飾を抑え、白磁の真髄を追い求めてきた祖父は、本当に仕事熱心で、仕事のことしか考えていないような人なんです。90歳を超える年齢になっても、常にチャレンジしよう・新しいものを取り入れようとしている姿勢には、本当に頭が下がります。たとえば、一緒にドライブに出かけても、行き帰りで違う道を通ろうと提案する。何か発見があるかもしれないからって。日頃からアンテナを張って、仕事や作品に活かしていこうとするスタンスを、本当に尊敬しています。気持ちも若々しくて、本人も「心はずっと10代」って言っているんですよ。

―しかし実は、卒業後はすぐに有田には戻らず、アパレル関係の仕事に就いたそうですね。

井上 せっかく東京にいるし、すぐに帰るのは勿体ないというか。もちろん、いずれは有田に戻ることが前提なんですけど、それでもずっと好きだった洋服の仕事がしたくて、祖父にお願いしたんです。父は、一度企業に就職して社会勉強してから戻って来た方がいいんじゃないか? と考えていたようですが、祖父は早いうちから修行を始めたほうがいいだろうと考えていました。結局、働いたのはたった1年だけだったんですが、とても本当にいい経験をさせて頂きました。

―1年間のアパレル勤務ではどんなご経験をされたのでしょうか?

井上 販売員として接客を担当していましたが、洋服にもデザインソースやコンセプトなどがあります。たとえば「このジャケットは身幅が広いからアメリカのクラシックデザイン、腰が絞られてるからイギリスのデザイン」といったものですが、そういった知識を活かしながら洋服の魅力をお客様に伝えていく方法を考えるようになりました。単純に見た目のことだけではなく、歴史的背景やコンセプトなど、目に見えない部分への理解が重要であることを実感した経験でした。

職場の方々にも本当によくしていただいて。当時の僕の状況も理解してくださって「結局、戻らなきゃいけないんなら、早く戻った方がいいんじゃない?」と、迷っていた僕の背中を押してくれたのも、当時の上司です。有難いことに、今でも交流が続いており、このときの出会いに感謝しています。

自分らしく有田焼と向き合う

B-OWND 井上祐希 有田焼
「New Balance 福岡」とのコラボレーションによって制作された「白磁のスニーカー」
画像提供:井上祐希

―そういった経歴も活かしながら、井上さんはファッションブランドとのコラボレーションなどもされていますね。昨年の「New Balance」とのコラボ作品は強く印象に残っています。

井上   ありがとうございます。「白磁」のスニーカーですね。これは、「New Balance 福岡」さんの1周年記念の店内エキシビジョンのために制作しました。うちの窯はロクロがメインで、普段はオブジェなどは手がけていないので、最初はお断りするつもりでした。でも「祐希さんは、色々やってくれるから声をかけました」と言ってくださって。その気持ちにぜひ応えたいとの思いで引き受けたんです。

スニーカー全体のフォルムは型取りで、シュータンタグやシューレースについては実物の立体感を意識して削り出しました。ドリッピングを施した模様については、普段の作品作りで用いている釉滴(ゆうてき)の技法を使用しています。

ファッションブランドYOKEとのコラボレーションによるバングル
画像提供:井上祐希

2020年はこれ以外にも、ファッションブランド「YOKE」ともコラボさせていただき、ボトル・一輪挿し・ボウル・バングルの4種類のアイテムを制作しました。デザイナーの寺田さんが窯まで足を運んでくださって、テーマやコンセプトを共有しながら、僕の方で提案し、ひとつずつ形にしていきました。

担当の方に「どうやって、僕を知ったんですか?」と聞いたところ、ファッション好きで、理解のある陶芸家がいないかなと調べていたら、僕に辿り着いたそうで。SNSなどで日頃から発信していくことって大事なんだなと感じました。こういった体験の積み重ねが、自分らしく陶芸と向き合っていけるんじゃないか、という自信にも繋がっています。

―こういったコラボレーションを積極的に行うことには、井上さんにとってどんな意味がありますか?

井上 自分らしい活動ができるということはもちろんですが、もうひとつ、それまで陶芸や器と全く接点がなかった・興味のなかった人たちの目に止まるということも大きいです。

萬二窯だけに限らず、有田焼がそうだと思うのですが、やはり敷居が高いというか、とっつきにくいというイメージがあると思います。僕の友人でさえ、「展示会場まで来たんだけど中に入りづらくてそのまま帰っちゃった」とか、「展示会って一体何を着ていったらいいの?」って言っているくらいですから。だからこそ、自分がやっている「有田焼」をもっと身近に感じてもらうにはどうしたらいいかを常に考えています。 

釉滴の技法を用いたシューレースプレート。
「身に着ける有田焼」をコンセプトとした、井上萬ニ窯のアクセサリーラインのひとつ。
画像(下)写真提供:井上祐希

たとえば、僕の初めての個展はカフェでやったんです。カフェなら、陶芸の展示会に足を運んだことがない人でも、気軽に立ち寄ってもらえるんじゃないかと考えて。DJを入れて音楽を流したり、オープングイベントで絵付けやロクロの体験をしてもらったり。それまで全然陶芸に興味のなかった人でも、実際に自分で体験してみると、ぐっと距離が縮まるというか、身近に感じてもらうことができる。

それが大切なんです。自分と同世代の人たちはもちろん、もっと若い世代の人たちにとって「身近なもの」でありたい。そうなっていけるように、自分からアプローチし続けたいし、その必要があると思っています。

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