中村弘峰 止まっていた人形の時間を動かしたい|人形師・中村弘峰インタビュー(後編)

人形師
「止まっていた人形の時間を動かしたい」、人形師・中村弘峰は屈託のない笑顔でそう語る。
努力の末に獲得したはずの西洋美術由来の美意識を捨て、新たに日本の美意識を身体に叩き込む。
この壮絶なプロセスにおける奮励とその自負が、
彼に「止まっていた人形の時間を動かす」と語らせる。
しかしそれは、単なる自信から来ることばではない。
先人が長い時間をかけて洗練させてきた、
日本の人形の様式美に対する敬慕と謙譲に満たされたものである。
人形師・中村弘峰。
過去の人形師たちとともに、新たな人形の地平を切り開こうとする知謀家の思考を探索する。
取材・構成:ふるみれい
写真:石上洋、ふるみれい

PROFILE

中村弘峰(人形師)

1986年、福岡市出身。明治時代から続く博多人形師の家に生まれた、若き4代目。2011年に東京藝術大学大学院美術研究科彫刻専攻を修了後、父・中村信喬に弟子入りし、家業を引き継ぐと同時に、従来の概念を打ち破る斬新な作品を発表している。また、伝統的な人形のあり方をアップデートしたアスリートシリーズの作品によって、第三回金沢・世界工芸トリエンナーレで優秀賞を受賞するなど、活躍の場を広げている。2018年、美術画廊X-日本橋髙島屋にて個展開催。2019年には、POLAミュージアムアネックスで個展を開催している。

なんでもつくるのが人形師

―ご自分の気持ちのありったけを乗せてつくられる作品もあれば、一方で商用のもの、量産するものもあったりしますよね。つくるときのスタンスというか、心の持ち方などに違いはあるのですか?

クライアントワークとアートワークのときの向き合い方、意思の違いはあるかということだと思いますが、答えとしては、違いはない、っていうことになります。自分の思いからつくるときはいろいろな人に見てもらいたいので、見る人の驚いた顔とかを想像しながらつくりますよね。だけど、クライアントワークも、結果的に同じことだと思うんです。クライアントワークの場合は、まずはクライアントさんを驚かせたいと思います。でも、そのクライアントさんは絶対誰かに見せて驚かせたい。ということは、クライアントさんのその先の、それを見た人がびっくりしないと意味がない。ですから、結果的に、間に一人挟まってるだけで一緒。結局のところそんなに違いはないんだなってことなんですね。僕らは、というかウチ、中村人形が定義している「人形とは人の祈りを形にしたもの」であり、「人形師とは人の祈りを形にする仕事」っていうことに準ずるというか。ある種「憲法」の公僕になる、といったイメージなので、どのみち自我を捨てるようなところがあるんです。

中村人形の暖簾。白地に墨文字が潔い。

人の思いに全力で応え続ける

―幅広いジャンルでご活躍ですが、人形の可能性から事業ドメインを考えていらっしゃるように見えます。これは意識してなさっているのでしょうか?

なんて言うんでしょう、それはもう代々やってきていることで、僕の脳内だけの話じゃないんですよね。博多人形師が本来そういう人種だっていうことであり、博多の人、博多商人がそういう人たちだったということなんだと思うんです。博多はもともと日本の玄関口で、江戸時代あたりまではすべてが先に入ってきた場所です。空海もここから唐へ行ってますし、禅が入りお茶が入り、粉物が入ってきて。仏教だって奈良時代に大宰府政庁から来ていますから。そういう意味で、博多の人は、新し物好きでこだわりがない、その時に流行りそうなもの、売れるものを売るという人たちです。そこに登場したのが人形師という職種、職能集団なんです。

彼らは博多人形を作ってないんですよ。なんでも屋なんです。それがのちに分かれてきて、ウチの曽祖父は職能的には原型師っていわれる人だったんですね。今でいう海洋堂のフィギュア、美少女フィギュアなどの原型をつくる、要は何でもできる人、っていうことなわけです。人形も裏を見たら作者として違う人の名、問屋の名が入ったりするんですけど、型は曽祖父の造形だったりする。言ってみればゴーストライターみたいなものですね。曽祖父のヨゼフの型を使って、かつて日本の商社からヨーロッパ中の教会に、そのヨゼフの人形が輸出されていたんです。 祖父は祖父で、長崎のおくんちの龍舟(じゃぶね)の龍をつくるのに、3ヶ月現地に逗留したりしていました。有田焼の人形などの型も、博多人形師が行ってつくっているんです。博多の人形師は本来そういう集団であって、ウチは本来の人形師でありたい、そうあるべきだ、ということでずっときています。だから、何でもするのが当たり前、求められたものをつくる、っていうのが代々のイズムなんです。

―時代の求めにきっちり応じていく、その結果ずっと必要とされていくっていうことですよね。

そうですね。こう言い方をするのは語弊があるんですけど、人って何かにハマりたい、ハマっていたいんじゃないかと思うんです。だからクリエイターとしてそれに応える、そう思ってるのかもしれないですね、うん。どうせ作るなら当てないと意味がないですし、クライアントさん――たとえば太宰府天満宮さんでも、やっぱり多くの参拝の方に来てほしい。せっかく干支人形を用意するのなら、みなさんが絶対受けて帰りたいなと思うものをつくってほしい、と思っていらっしゃると思うんですよ。だからそれに応えたい。そういう感じですかね。

人形って基本的に、人生で一番要らないものなんですよね。人生で要らない最たるもの。それを売って生きている時点で奇跡です(笑)。だからこそ面白い。だからこそ、どうやったら人がほしいと思うかを考える。それはもう、最高のドリルなんですよね。一番人生でいらないものを人に買ってもらう職業。だから、そのドリルに応える(笑)。

中村弘峰 《太宰府天満宮干支人形》

―確かに今の時代は効率重視、そのなかで、買ってもらえるかどうかの最後のところに人形がある、という捉え方は面白いですね。でも、要らないものに見えて実は一番要るものかもしれない。揺らぎそうな自分の意思を支えてくれるような。そういう意味で最たるもの、とも思えてきます。

そうですね、それが多分最低限必要なことなんですよね。最低そういうものじゃないと人の心を動かせないし、要るものには絶対にならない。で、もっとクライアントさんのことを考えるなら、人に見せたくなるという要素もいるんだと思います。クライアントさんがそれを持ったことで、かっこいいね、攻めてるね、と思われるようなもの。その両方が必要ですよね。やっぱり、みんな持ってるけど、みんなが持ってるからイマイチ、というようなものってありますよね。僕はそれをつくっちゃダメなんだと思います。ですからクライアントさんのことを考えると、最終的に全部セミオーダー、その人だけの人形になってしまいますね。基本的に、来た球をホームランで返す、と思っているだけなんです。 だから、矢がもういろいろなところから飛んで来るので、作風がめちゃくちゃです。同じ作者とは思えませんよね。でも、それでいいんですよ。ともかく応え続けます(笑)。それが人形師ですから。

エシカルな循環をもたらす工芸

―博多という土地で、ビジネスとして工芸を成立させていくことについてどうお考えですか?

最近考えるんですけど、伝統工芸で成功するって、いいことずくめなんですよね。完璧なんです、21世紀において。伝統工芸で一作家が工房を構え、真面目に運営して、ビジネスとして成功した場合、いいことしかないんだと思います。 まず、突き詰めると、日本の工伝統芸は自然との対話で、材料はその土地に由来するものがほとんどです。だから、地方創生と環境問題に向き合う、ということがクリアできています。しかも文化的、芸術的な効果もあります。それを生み出す人も、買った人もハッピーになる。困る人がいないですよね。製作のための道具をつくっている人たちも潤う。

博多の土を使ってつくられる人形。素焼きの状態だが、
すでに造形、肌理(きめ)の美しさが際立つ。

そして何より、象徴的なんです。なぜなら伝統工芸は、その土地のファクターが全部吸い上がって形になった状態だからです。だからその地域の人々の精神的支柱になり得るんです。日本人のアイデンティティそのものにも直結しますよね。地域に向き合う形で伝統工芸を真摯に、そして搾取する形ではなくビジネス化した場合、全員、スーパー・ウィン・ウィンなんですよ。そういう意味で、知見を広く、ビジネス感覚を持つことが必要だと思います。僕らみたいな工芸作家が、ちゃんと地方に根付いて成功していくことで、「あ、ギア、噛むんだな」っていうことを、この先、この道をめざす人たちに感じとってもらえるようにしたい。だから成功しなくてはいけないし、成功モデルをつくらなければ、と思っています。

中村人形の工房

インタビュー後記

人の思いに応えるのが人形師であるなら、そこに唯一の作風など存在しない。中村弘峰が志向するアーティスト像は、作家名を目にすれば作品が眼前に浮かぶような唯一無二の作風を備えもつそれとは、完全に異質である。そこにあるのは、「人の思いに応えつづける。常に全身全霊で」という思いそのもの、ともいえる。

しかし(あるいは)、そうであるからこそ、その作品が醸し出す、どこか清浄な佇まいや空気感を伴った美しさが、一段と異彩を放つのかもしれない。 古来、最先端のものを受け入れ、時代に沿わせてきた博多の人々、そして博多という風土そのものをそのDNAとして受け継ぎながら、中村はこのイズムを携え、現代を疾走する。

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