わびさびとは何か?-美術史家と陶芸家の立場から考える-

BUSINESS
日本人の美意識として語られる「わびさび」。
よく耳にするものではありますが、実のところ、はっきりと説明するのは難しいものかもしれません。
今回の記事では、この「わびさび」について、
美術史家と陶芸家の立場から語られたトークショーの内容を一部編集してご紹介します。
編集・写真:B-OWND

はじめに

B-OWND 陶芸 ザ・プリンス京都宝ヶ池

2021年10月1日〜2022年2月28日、ザ・プリンス京都宝ヶ池の開業35周年記念展示として、陶芸家・加藤亮太郎氏の作品が展示されました。テーマは、「織部×遠州 侘び・寂びの変遷」です。

現代作家として活躍する加藤氏、松林氏は、それぞれ、千利休の弟子として活躍した古田織部と小堀遠州の流れを汲む作品を制作しています。

写真提供:加藤亮太郎

加藤亮太郎(かとう りょうたろう) 

1974年、岐阜県生まれ。七代 加藤幸兵衛の長男。人間国宝 加藤卓男の孫。1804年に開窯した美濃焼を代表する窯元 幸兵衛窯の八代目。京都市立芸術大学大学院で陶芸や書を学ぶ。1999年、同校陶磁器専攻修了。穴窯焼成による美濃桃山陶の伝統に正面から向き合いながらも、コンテンポラリーなエッセンスを盛り込んだ作品を制作している。また彼は、20年にわたって茶道を嗜む茶人でもあり、茶陶を深く理解する陶芸家として定評がある。近年では、書家としても活躍の場を広げている。

B-OWND 陶芸 松林豊斎
写真提供:松林豊斎

松林豊斎(まつばやし ほうさい)

1980年、京都生まれ。400年の伝統を持つ茶陶の名家・朝日焼、十五世松林豊斎の長男として生まれる。2003 年、同志社大学法学部を卒業。英国セントアイブスのリーチ窯にて作陶などを経て、2016年、十六世豊斎を襲名。作品は、カーディフ国立博物館(イギリス)などに所蔵されている。また京都を拠点に、幅広いジャンルとの接点をつくりながら、伝統工芸のさらなる可能性を探る「GO ON」に参加するなど、様々な活動に積極的に参加している。

なお、展示についての詳細は、下記の記事をご覧ください。

またこの記念展示の一環として、2022年2月27日にはトークショーが開催されました。

テーマは、「わびさびとはなにか?」です。千利休の美意識を継承する古田織部と小堀遠州、それぞれの解釈の違いについて、歴史的背景を踏まえて変遷をたどり、それらがどのように加藤氏・松林氏の作品に反映されているのかが語られました。

パネリストは、京都女子大学准教授・前﨑信也氏です。

前﨑信也(まえざき しんや)

1976年、滋賀県生まれ。龍谷大学文学部卒業後、英国に留学。ロンドン大学アジア・アフリカ研究学院大学院修士課程修了・博士課程修了。PhD in History of Art(博士・美術史)。2015年より京都女子大学生活造形学科准教授。専門は工芸文化史、文化情報学など。展覧会監修、Google Arts and Culture の文化コンテンツ作成など、活動は多岐にわたる。著書・論文多数。

本記事では、このトークショーの内容の一部を抜粋・再編集してお伝えします。なおファシリテーターは、B-OWNDプロデューサー・石上賢が務めました。

加藤亮太郎氏と幸兵衛窯について

石上 まずは陶芸家のお二人に、普段の制作や作風などをお話いただきます。では加藤さんより、ご紹介をお願いいたします。

写真:B-OWND

加藤 加藤亮太郎と申します。私は、岐阜県多治見市という陶産地から参りました。

幸兵衛窯の外観
写真提供:加藤亮太郎
幸兵衛窯の内観
写真提供:加藤亮太郎

加藤 うちの幸兵衛窯は、幕末の1804年に始まり、間もなくして江戸の御用窯となり、染付磁器を納めていました。私の曾祖父にあたる五代目から陶芸家としての仕事を始め、私は八代目になります。

穴窯と引出しの様子
写真提供:加藤亮太郎

加藤 これは穴窯(あながま)と言って、まさに利休や古田織部が生きていた時代の「志野」「瀬戸黒」「黄瀬戸」といった桃山陶を作っていた形の窯です。穴窯の魅力は、薪の灰の影響で色味が変化し、穴窯ならではの表情が作れる点です。

《織部花入》
作品ページはこちら
写真:石上洋
《織部花入》
作品ページはこちら
写真:石上洋

加藤 私は現在でもこの窯でお茶碗などを中心に制作しています。もちろん陶土も、当時の桃山陶というものが生まれた現場で掘ってきた土を使い、昔ながらの作り方で作品を制作しています。

《茜志野酒呑》
写真:木村雄司

加藤 たとえば、この「志野」は、穴窯で5日程かけてじっくりと焼きます。そうすることで、白い肌に、この緋色の色味が出てきます。このように伝統的な作り方にこだわっていますが、私自身はその中にも「現代性」を盛り込むことも意識しながら制作をしています。

松林豊斎氏と朝日焼について

石上 次に松林さん、よろしくお願いいたします。

写真:B-OWND

松林 朝日焼の松林豊斎です。よろしくお願いいたします。

写真:B-OWND

松林 朝日焼は、京都の洛外の南にある、宇治というお茶の里で作っている焼き物です。約400年続いており、私は十六代目です。

登り窯での制作の様子
写真提供:松林豊斎

松林 朝日焼では、登り窯(のぼりがま)を使って焼き物を作っています。登り窯の良さは、焼成のコントロールが難しく、そのために炎の当たり具合で、一個一個違った表情の焼き物が出来上がるところにあります。我々は宇治の土を自分たちで掘って、50年〜100年近く寝かせて風化させたものを使っています。

写真提供:松林豊斎

松林 これは「鹿背(かせ)」といって、朝日焼の伝統的な風合いです。

《茶盌 月白釉流シ白金銀彩》
作品ページはこちら
写真:木村雄司

松林 私の作品は、その伝統からちょっとはみ出して、ブルー、焦げた茶色の部分、そして白い化粧土で構成しています。後ほど説明いたしますが、朝日焼は「綺麗寂び」というものを大切にしています。これは、枯れた風情や渋みなどをよしとする「さび」のなかにも、華やかさや優美さのある趣、 風情をさします。きちんと説明しようとすると、どうしても「わびさび」を語ることになりますので、これに関してはのちほどお話したいと思います。

わびさびとはなにか?美術史家の視点から

石上 ありがとうございました。それでは、ここから「わびさび」とはなにか?という本題に入りたいと思います。まずは、「わびさび」の基礎知識について、美術史がご専門の前﨑さんよりお話しいただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

写真:B-OWND

前﨑 こんにちは。本日は「わびさび」について語るということで……正直なかなか難しいのです(笑)。新しく分かりやすい「わびさび」の説明になるようお話をしたいと思います。

さて、「わび・さび(侘び・寂び)」の漢字を調べてみると、実はいろいろな意味があります。そのなかで、今回私が注目したいのはこちらです。

「侘」は、ひっそりと暮らすこと。「寂」はひっそりと静かであること。

特に「侘」の字は、「人」+「宅」という成り立ちですから「家にひとりでいる」という意味なんです。

「わび茶」というと、千利休が大成したと言われています。利休のフォロワーと呼べる茶人に、古田織部と小堀遠州がいます。本日登壇されている加藤亮太郎さんが織部、松林豊斎さんが遠州の流れを汲む陶芸をしておられます。

利休のグループは何をしたのか?

写真:B-OWND

前﨑 さて、「利休とその弟子たちは、今風に言うと何をしたのか?」ということが、本日皆さんにお伝えしたいことです。

彼らが活躍する前の時代。鎌倉や室町時代の権力者の屋敷の内装は金をふんだんに使用していました。そうすることで、わかりやすく富と権力を見える化していたということです。足利義満の金閣は言うまでもないですし、豊臣秀吉は有名な黄金の茶室をつくり、その中で使う道具も全て金で揃えています。

こういった時代に権力者が使っていたお茶の道具のほとんどは、中国からの輸入品で、とても高価なものでした。有名なものでは足利義政が持っていたとされる青磁の茶碗《馬蝗絆(ばこうはん)》がありますが、当時の日本人にはそもそもそれを作る技術がなかったんです。つまり当時の日本の権力者にとって輸入品の茶道具とは、当時の世界最高の科学技術を駆使した自分にしか手に入らないモノだった。だからこそ、苦労して手に入れ、人前で飾ったり使ったりすることに意義があったのです。

※イメージ画像

前﨑 そんな時代に利休が大成したという「わび茶」でしたこととは、一言で言えば「地味」にしたことです。希少な輸入品ではなく、その辺りに生えていた竹を切って花入にする。茶碗も、朝鮮から輸入したと言われている「高麗茶碗」や国産の「楽茶碗」をよしとしました。「高麗茶碗」は朝鮮半島で普通のご飯茶碗として使われていたと考えられているものです。高級な中国からの輸出品ではなく、朝鮮半島産や国内産の比較的安く、地味で質素なものに代えました。そして、そのような「完璧ではない」道具をよく見せるために、茶室を田舎風の土壁の小屋にしました。

室町時代は国にお金が無くなり、戦国の混乱を経て江戸時代に、という時期です。日本は国としては疲弊し、海外から高級品を輸入する余裕もなくなりつつあった。その中で、安価な道具に新たな価値を見出し、提案し、権力者のたしなみとして提案させたのが「わび茶」と考えると、利休やその周辺の茶人のしたことは理にかなっています。マーケティングやブランディングの観点から見れば、分かりやすい戦略ですよね。

なぜエリートたちに受け入れられたのか

※イメージ画像

前﨑 では、権力者とエリートたちの間で、なぜ地味な「わびさび」が受け入れられたのでしょうか。それは最初にお話しした、この言葉が意味する「静かでひっそりとした場所での時間」を彼らが求めたということがあります。現代も同じですが、偉くなればなるほど、責任が増し、思い通りにならないことも増え、ストレスもたまりますよね。だから「現実逃避したい!」「田舎に行きたい!」となります。現代で言えばデジタルデトックスですかね。オフラインを渇望するビジネスマンの気持ちです。

昔は今ほど交通機関が発達していませんから、気軽に遠くへは出かけられません。だから、家の庭や、街の郊外に茶室を建て、床の間に掛けた偉いお坊さんの格言について考えたり、水墨画の中に描かれる理想的な風景を眺めて旅行に行った気分になったりする。

田舎にいる気分にさせてくれる静かな茶室でただ一人、手に温かいお茶碗を持ち、濃い緑の液体を眺めながら自身を顧みる。そんな権力者やお金持ちのための現実逃避のツールとしてのお茶こそが、利休の提案した新しいコンセプトでした。だから豪華とは正反対に見える質素な「わびさび」が大名をはじめとする権力をもった人々に受け入れられたのです。現代で「わびさび」は、日本文化を象徴する思想のように捉えられています。しかし、こんな風に聞くと、今も昔も日本人の考え方って変わっていないことが分かるのではないでしょうか。

「わびさび」とはなにか?小堀遠州の系譜・松林豊斎氏の視点から

写真:B-OWND

石上 前﨑さん、とてもわかりやすいお話をありがとうございました。では次に、作り手の側より、陶芸家のお二人にもお話を伺いたいと思います。よろしくお願いいたします。

松林 では、さっそくお話をしていきたいと思います。

「わびさび」とは何なのか、それは私に言わせると「儚い美しさ」です。桜が満開の時も美しいけれど、散っている儚い感じが美しい、これが「わびさび」に通じているのではないかと思います。

見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮

※イメージ画像

松林 これは有名な和歌ですが、花も紅葉もないような、田舎家の風景には、なにかさみしいけれど美しさがあります。これが「わびさび」ではないでしょうか。

では反対に、それ以前に美しいとされたものは何かというと、儚くない、何百年もそこに存在しそうなものを指します。

松林 私は勝手にそれらを「完全美」と呼びますが、たとえばヴェルサイユ宮殿の内装や金閣寺など、ゴージャスなものがそれにあたると思います。

それに対して今にも崩れ落ちてしまいそうな儚い雰囲気のものが、「わびさび」です。

そして、先ほど申し上げた、朝日焼が大切にする「綺麗寂び」とは何か。

これは、田舎家の雰囲気とゴージャスな雰囲気の中間くらいの、ちょっとおしゃれなものですね。真ん中くらいが心地よいと考えたのが、おそらく小堀遠州です。彼の「綺麗寂び」や美意識がかなり入っているものとして、桂離宮があります。都会的な要素と、地域的な力強さを調和させたものとして、わかりやすい例ではないでしょうか。

「わびさび」とはなにか?古田織部の系譜・加藤亮太郎氏の視点から

写真:B-OWND

加藤 私の方からは、古田織部的な「わびさび」についてお話させていただきます。

織部というと、「ひょうげ」という言葉でよく語られますが、これは「ひょうきんな」とか、「ちょっと変わっている」というような意味合いです。

実際に、利休の端正な形に比べると、やはり左右非対称で歪んでいるので、一見、奇をてらったように見えます。

しかし実際、人間がお茶碗を持つとき、必ず手の形は左右非対称になります。

※イメージ画像

加藤 お茶碗のくびれの部分にぴたりと指がはまれば、落としたりする不安がなくなり、安心してお茶を飲むことができます。だから実は、織部のこの歪みのある形は、人の手に寄り添った形であり、人にやさしい形と言えます。この「人に優しい」というのが、「織部的なわびさび」だと考えます。

また別の視点から語ると、焼き物は、窯に入れるところまでは「人」、窯に入れてからは「火」の仕事です。人と自然が融合してできたものが焼き物ですから、人は、お茶碗での一服を通して、自然を感じることができます。人間ももともとは動物なので、原点を思い出し、自分自身が自然に生かされていることを再認識する。そのきっかけが「わびさび」であり、お茶を飲んだり、焼き物に触れる意味なのかなと思います。

ひとつのお茶碗を通して得るもの

石上 ありがとうございました。それぞれの視点からの「わびさび」ということで、とても興味深いお話を伺うことができました。最後に、今回のまとめとして、現代において「わびさび」が果たしていける役割や、どうお茶を楽しんでいけるかなどについてお話いただきたいと思います。

写真:B-OWND

松林 「わびさび」は、やはり簡単に説明することが難しいですね。ですが本質としては、とても人間的な事なのだと思います。「完全美」という話をしましたが、400年前の人にとっては「わびさび」の方が自然なもので、むしろ完全なものを人間がつくり出すことがとても難しいことでした。だからこそ、それらが貴重だったんですね。でも、現代では技術も向上して、完全なものが当たり前の世の中になりました。ですが、だからこそこの時代に、壊れそうなものに寄り添う「わびさび」の概念というのは、実はすごく大事なのではないかと思っています。100年後も、そういうものを楽しむ人たちがいる社会の方がたぶん豊かだし、戦争も少ないのではないかなと思います。そういう風にあってほしいと思います。

写真:B-OWND

加藤 お茶は、ホストとゲストが心を通わせ合うことで繋がり、人と人との垣根を崩していくものです。また、戦国武将たちがお茶をたしなんでいたのも、お茶を飲むことで、ひとつニュートラルに戻れるというのがあったからかもしれませんね。茶室に入り、世間の喧騒を忘れることは、切り替えのポイントとなったはずです。だからこそ、彼らはまた次の戦に行くことができたのでしょう。自分を取り戻す、原点に回帰する、そういうきっかけを必要としているのは、現代人も同じです。現代は中々難しい時代ですが、だからこそ、一服のお茶からはじまっていくものを信じて、大切にしていきたいですね。

写真:B-OWND

前﨑 たとえばこの後、会場の皆さんがお二人の作品を手に取ると、今のお話がよみがえると思います。手に持っているものは茶碗だけれど、それを作った人たちを知ることでイメージが広がる。茶碗の先に、岐阜の山が見え、宇治の川が見える。それは、先ほど私がお話をしたように、茶室でひとりで考えるのとは少し違っていて、自分が手に持っているものを通じて世界を広げていくことです。お茶碗というのは、そういったものを一番持っているモノだと感じますね。

石上 とても興味深いお話でした。みなさん、本日はありがとうございました。

【おすすめ記事】