若宮隆志 《多々羅椀 本朱塗》
100以上にも上る漆芸の工程を、日本最高峰の技術をめざす職人たちが、各専門に分かれて担当しています。
これにより、今までにないほど質の高い作品の制作が可能となりました。
彼らの棟梁である若宮隆志氏は、作品の構想、設計などを行いますが、
その豊かでユニークな発想によって、漆芸の新たな可能性を広げているアーティストです。
しかし、「高い技術は、あくまで表現のため」という若宮氏。
彼が構想する作品には、それぞれ明確なコンセプトがあるのです。
今回ご紹介する《多々羅椀 本朱塗》もそのひとつ。
かつて輪島近辺に存在した、
現在は形も残らない「多々羅椀」を題材としていますが、
そこには、一体どんなストーリーがあるのでしょうか。
写真:石上 洋
PROFILE
若宮隆志
彦十蒔絵棟梁。1964年輪島市生まれ。1984年より、輪島塗の製造販売・技法などを学び、のちに彦十蒔絵を立ち上げる。2014年には平成26年度文化庁文化交流使にも指名され、国内外で多数の展示を開催している。
取材協力 彦十蒔絵マネージャー:高禎蓮
色彩に込められた意味
本作のタイトルにもある「本朱」とは、もともとは辰砂という鉱石から得られる色を指します。 辰砂は、古来より神事の器に塗られてきた特別な赤で、呪術力が高い色として重んじられてきました。賢者の石とは、辰砂のこととする説もあります。
「 日本においても、神々に願いを伝え、その願いを叶えてもらうなど、神々と会話する際に使っていたものが辰砂の器だったといいます。また辰砂には、水銀が含まれています。水銀はヒ素などの毒に反応するため、殿様など身分の高い人々が使ったとの言い伝えもあるほか、モノの腐敗を防ぐ効力から、命の永遠を求める思想も見出すことができるのです。」
《多々羅椀 本朱塗》の朱色に深みを出しているのが、中塗りの黒色です。 ここには漆器の黒色とつながりの深い金属「玉鋼」が使用されています。漆は、鉄を加えることで化学反応を起こし、黒色となります。一般的には酸化鉄が使われますが、玉鋼を使うことで特別な「黒」が出せるのです。それは、「漆黒」という、もっと濃く美しい黒。 若宮氏の師によると、黒漆とは本来、玉鋼の酸化を利用して黒めた漆だったといいます。 玉鋼は、日本古来から行われてきた伝統的な製鉄法「たたら製鉄」で得られる鉄です。
たたらという地名
彦十蒔絵棟梁の若宮氏は、幼いころからおじい様に様々な民話を聞いて育ちました。子ども時代から民俗学的なことに関心の強かった彼は、今でもそのお話からインスピレーションを得ることが多々あるといいます。
かつて輪島の近くには、古く庶民に使われていた合鹿椀(ごうろくわん)という器がありました。足が高く底の深い、特徴的な形状のお椀で、民藝ブームで脚光を浴びたことでも知られています。骨董品として、一つ50万円もの高値で取引もあったそうで、輪島塗のルーツといわれることもあります。現在は輪島近くの福正寺というお寺で、実物を見ることができます。
この福正寺のあたりには「たたら」という地名が残っており、また 福正寺自体も「多々羅御坊」と呼ばれます。
「 つまり、昔ここでたたら(たたら製鉄)が行われていた可能性を感じるのです。 そして、お椀を作るには金属の道具が必要ですから、多々羅職人と合鹿椀との関わりを想像してしまうのです。 」
若宮氏のおじい様は、 輪島には合鹿椀以外にも、多々羅椀、天狗椀という器があったことを指摘されています。輪島に住む漆芸のアーティストとして、若宮氏が現在は形も残らない「多々羅椀」に思いをはせて制作したのが、本作なのです。
器のかたち
お椀はなだらかな曲線を描くものが一般的ですが、本作はいくつかの段が設けられた、直線的なデザインです。段差が出ると、漆を均一に塗ることが難しく、塗りの難易度が格段に上がります。その意味でも、本作は造形力と技術力を兼ね備えた職人たちのみが携わることのできる、まさに彦十蒔絵ならではの逸品といえるでしょう。 また、彦十蒔絵の漆器は、 木材もこだわりぬいた素材を使用しています。器としては高価に思われるかもしれませんが、これだけの素材、塗り、造形を実現している器は稀なのです。
幻の器「多々羅椀」。彦十蒔絵が作り出した本作には、技術のみならず、さまざまな思い・願いが込められています。
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