酒井智也 陶作家・酒井智也インタビュー |「記憶」の痕跡を撫でる(後編)
作品は、どこか既視感のあるイメージである。
それらは人々の記憶に語りかけるように作用し、
思わずじっと見入ってしまうような、不思議な魅力を放っている。
今回の取材では、酒井のこれまでの制作を振り返りながら、彼の作品に迫る。
また、最新作、今後の展開についても聞いた。
編集・取材写真:B-OWND
PROFILE
酒井智也
1989年、愛知県生まれ。名古屋芸術大学陶芸専攻卒業、多治見市陶磁器意匠研究所修了。現在は、愛知県瀬戸市にて独立。主に電動ロクロを使って制作している。
主な受賞歴は、2020年、台湾国際陶磁ビエンナーレ 入選、2021年、第12回国際陶磁器展美濃 銀賞など多数。作品は、 京畿陶磁美術館(韓国)、新北市鶯歌陶磁博物館( 台湾)などに所蔵されている。
自分が生きた証を残していく
―現在の酒井さんの作品は、さまざまなパーツを組み合わせて制作されていらしゃるんですね。改めて、作品がどのようにして出来上がるのか、教えてください。
酒井 まずは、ロクロでパーツの部分を沢山作ります。特にこんなものを作ろうとか、最終形を考えながらではなく、無意識に思い浮かんだものをどんどん形成していきます。それらはたとえば、子どもの頃に見たアニメやSF映画のワンシーン、いつかどこかで見た景色、そういったものが頭の中で重なり、層のようになったものを抽象化・単純化したものです。設計図を描いているわけではないので、それらを組み合わせるときには、何となく見たことあるようなないようなものをひとつずつ探って構成していく、そんな感じですね。
-なるほど、それらの作品を通して、酒井さんが伝えていきたいことはありますか?
酒井 自分自身が作品を作っていくなかで1番重要なのは、自分が生きている実感を得られるかどうかなんです。それは、きっと友人たちを亡くしたところからずっと続いていることで、制作を続けるモチベーションはそこにあります。
僕の作品は、これまでの自分の過去に触れあってきたものは何かをたどる行為のようなものです。自分と向き合い、自分が生きてきた証そのものを作っているような感覚です。だから、作品を世の中に出すということは、自分の生きてきた痕跡を世の中に残すことと同じなのです。自分がいなくなっても、焼き物なら一万年先まで残る可能性がある。自分が「生きた証」を、長く世の中に残していきたいです。
大切な人の記憶を残す「記憶を救う」シリーズに着手
-最近ではまた異なった視点の作品を作られるようになったそうですね。
酒井 はい。これまではずっと、自分の記憶のどこかにあるものを取り出して形に表してきましたが、現在新たに「他者の記憶」がコンセプトの作品の制作を始めました。ある時、ふと、自分の記憶をロクロで作れるなら、他人の記憶も作れるんじゃないかと、思いついたんです。
僕には今年87歳になる祖母がいるのですが、戦争などたくさんのことを乗り越えてきたその約90年の記憶は、彼女が亡くなったらその死とともに一瞬で消え去ってしまうんですよね。それがすごく悲しくて。祖父が亡くなったときには間に合いませんでしたから、何とか祖母の記憶だけは残したいと考えるようになりました。
それから、祖母の元に何度も通って、生まれてからこれまでの記憶を一つひとつ聞き出しました。その祖母から聞いた記憶を自分のなかに落とし込んで、なかでも印象的だった記憶の1シーンを、ロクロを通して表現しました。抽象的な形にすることで、作品を見た別の人も、その人なりの記憶をそこに重ねることができるんじゃないかと思います。祖母の記憶、さらにこの作品を所有する人々の記憶が重なりながら、遥か先の時代まで残っていく。自分にとって大切な人の「記憶を救う」作品なのです。
―この2つの作品が、おばあさまの記憶の作品なのですね。
酒井 はい。いくつかあるうちの2つになります。《Heritage series E.S 1955 「それでも来てくれた」》は、祖母が大学受験のときの記憶です。試験日前夜、急に大雪が降りました。試験会場への汽車が遅延することを心配した友人が、雪降る夜のなか、自転車を漕いで訪ねてきて早い電車に乗るように伝えてくれたそうです。人の温かみに触れたエピソードとして、とても心に残っていると話してくれました。
《Heritage series E.S 1963 「悲しくて、怒れる」》は、まだ幼かった祖母の娘が、事故で手に大けがを負ってしまったときの記憶です。ひどいけがだったのに、その当時思うような治療を施してあげられなかったという、悔しさや怒りの記憶でした。
-なるほど、興味深いですね。ところで、これまで酒井さんの作品には、花器としても使えるような「穴」がありました。ですが、この作品にはそういった穴が見当たりませんね。
酒井 そうですね。このシリーズでは、見えるところに「穴」はありません。といっても、窯に入れて焼くと、空気が膨張して破裂してしまうので、陶芸の作品はどこかには「穴」が開けてあります。ですが、その「穴」を見せるのか、見せないのかを意図的に判断しています。
僕はずっと陶芸というジャンルで作品を作り続けてきましたし、そのおかげで多くの人々との繋がりができたと感じています。何だかんだ言っても「器とはなんぞや?」ということをずっと考えてきました。また、「花器」という形にすれば、鑑賞者にとってはわかりやすさにつながると思います。アートだとどうしても距離を感じてしまう人も、花器としての用途があるものなら、すんなりと受け入れてもらえることも少なくないんですよ。だから、「穴」を開ける行為は、僕にとってはより多くの人と繋がりたいという願いと、自分なりに器と向き合ってきた想いでもあるのです。
「穴」が実際に使えるか、使えないかは重要でなく、自分が辿ってきた制作に対する想いを作品に投影するべく「穴」を開けています。
分の文脈を大切に、作品を作り続けていきたい
―新しいシリーズは、そういった思いとは別のことろに位置する作品ということですね。
酒井 そうですね。新シリーズは他者の記憶や想いが重要なので、僕自身の想いなどは排除しています。だから、この作品の「穴」は隠しています。むしろ、「穴」という要素が邪魔になってくるようにも感じます。
ですがやっぱり自分は「工芸」育ちなので、その文脈はこれからも大切にしていきたいです。これから先、たとえば30年後、自分がどんな作家になっているかはわかりませんが、現代アートとか工芸とかデザインとか、そういうジャンルの壁がもっと低く、ボーダーレスに、全部が繋がっていくような作品を生み出していきたいと考えています。これからも、自分や人のいのちと向き合い、残された時間を思いながら、「生きた証」を残していきたいです。その目的を果たすためにも、作り続けること、作り続けることができる自分でありたいですね。