若宮隆志 連載 工房訪問―彦十蒔絵(後編)

漆芸家
彦十蒔絵とは、輪島在住の約20名の職人からなる、漆芸のスペシャリスト集団です。
100以上にも上る漆芸の工程を、日本最高峰の技術をめざす職人たちが、各専門に分かれて担当しています。
これにより、今までにないほど質の高い作品の制作が可能となりました。

彼らは、棟梁・若宮隆志氏の構想をもとに作品を作り上げます。
その特徴は、従来の蒔絵の技術を継承しつつも発展させていること、
そして古典を踏まえつつも、新たな意匠・主題に取り組み、
現代的な感覚で漆芸を制作していることです。

現代漆芸界に、彗星のごとくあらわれた彦十蒔絵。
このたび、日本の工芸を「アート」として発信するB-OWNDにご賛同いただき、
参加アーティストとして作品を出品していただきました。
今回は、実際に彦十蒔絵の制作現場である工房などを訪ねながら、
素材や制作過程についてのお話を伺います。
文:B-OWND
写真:石上 洋

PROFILE

若宮隆志

彦十蒔絵棟梁。1964年輪島市生まれ。1984年より、輪島塗の製造販売・技法などを学び、のちに彦十蒔絵を立ち上げる。2014年には平成26年度文化庁文化交流使にも指名され、国内外で多数の展示を開催している。

 

【取材協力】(五十音順)

塗師:生田圭

蒔絵師:大森修

蒔絵師:大森晴香

輪島漆器組合漆精製工場

工場長:関山秀信

椀木地師:西端良雄

彦十蒔絵マネージャー:高禎蓮

数百年の使用に耐えうる漆器を

――前回までは、漆の採取および精製過程について工房を見学させていただきながら、ウルシそのもの希少性や取り扱いについてのお話を伺いました。今回はいよいよ、木地(きじ)づくり、器の研ぎの工程を見学させていただきます。 よろしくお願いいたします。

若宮 よろしくお願いいたします。

――こちらは木地を制作する工房ですね。

若宮 はい。漆器において、木地づくりはとても大切な工程のひとつです。木地の木材が腐らなければ、何百年も持つと言われているのですよ。

――それはすごいですね。

若宮 そう、けれど木地をしっかりと整えるには、かなりの時間と手間をかけなければなりません。

――こちらに積み重なっている木材が、材料でしょうか?

若宮 いえいえ、これはストーブ用のケヤキです。 彦十蒔絵の素材って、いい木が手に入らないと制作に進みませんから、こんなにたくさんはありません(笑)。納得できる木材が手に入るまで、何年も待つ場合があるのですよ。

――何年もですか…!それはこだわっていらっしゃいますね。

若宮 木地となる木材は、 年輪の細かいものです。漆を塗ってしまうと見えませんが、時間がたつと、その差が出てきます。ゆがまず、10年、100年、300年たっても姿が変わらないのです。

――耐久性において、木材の質が非常に重要ということですね。

若宮 そうですね。それに加えて、適切な養生を施します。まずは、切り出した木材を、1~2年寝かせるところから始まりまり、 さらにその後、燻煙乾燥を2週間ほどかけて行うのですよ。…今ちょうど、燻煙乾燥所の扉を開けるところですので、ご覧に入れましょうか。

燻煙乾燥所の扉を開ける 職人の西畑さん

――すごい煙。そして、燻製の良い香り!

若宮 スモークサーモンを想像してもらえればわりやすいと思います。ふつう生のものってすぐに腐ってしまいますよね。だから燻すことで撥水させ、腐敗を防ぎます。そしてこれには、防虫効果もあります。 燻煙後も、半年ほど寝かせて、木を自然の状態になじませ、やっと 木を削ることができる段階になるんですよ。

―― 木材を1年待ったとして、削るまでに2年半以上…。先ほど見せていただいた漆もそうですけれど、自然の素材を使うのは、とても時間と手間がかかるものなのですね。

若宮 見えないところにもしっかりと手間をかけることが大切だと考えています。だから、彦十蒔絵では、輪島にいる職人にしか依頼できないのです。遠くによい職人がいても、私がこの目で作業を確認できないですから。

職人と会話を交わしながら、木地づくりを見守る若宮さん。

漆は精度が命

――いよいよ削る工程を見せていただきますが、彦十蒔絵の作品は若宮さんがアイディアを出され、設計もされているんですよね。

若宮 はい。アイディアをスケッチして、その後方眼紙に細かい傾斜や図面を描き起こしています。

――それに沿って、木地職人の西端さんが立体にすると。そして漆の塗りの作業と研ぎの作業が繰り返されていくわけですね。

若宮 はい。今彼は、型を作るための大本のボディを作っているところですよ。あのようにロクロを回しては刃入れて削り、少しずつ様子をみながら調整してゆくのです。

一瞬刃を入れては離す、を繰り返しながら少しずつ形を整えていく

若宮 実は、道具も全てご自身で鍛冶をして作られているんですよ。道具の制作が自分でできないと、ロクロを使う職人にはなれません。勝負は小数点以下の世界ですから、自分の指先のような感覚で、道具を自由自在に扱うために必要なのです。

――彦十蒔絵って、とにかく作品の精度が高いといわれていますけれど、職人さんたちのこういった技術の積み重ねで実現しているのですね。

若宮 もちろん私も正確に設計しますが、実際に試作をしてみないとわかりません。そして、各工程で職人たちが微調整して、最終的には最高のものへと仕上げてゆくのですよ。

漆芸は、八割研ぎで決まる

――漆を塗った後に、研ぐという作業がありますが、これは何のために行うのでしょうか?

若宮 漆は液体なので、塗りたては刷毛目などが残りますが、平らなところに置き、時間がたてば、じゅわぁ、っと数時間のうちに平らになります。ただし、細かい凹凸ができるので、これを平らにしてゆく作業が「研ぎ」なのです。

――なるほど、塗って乾かすだけでは、滑らかな表面にはならないのですね。

若宮 実は漆は、水分が飛んで乾くのではなく、空気中の湿気を吸収し、酸素と結びつくことで固まるのです。これを、重合(じゅうごう)といいます。 そのために厄介なこともあり、空気中の水分が多いと固まるのは早いのですが、多すぎると色が出なかったり、表面だけ固まってしまったり。

――なかなかに扱いが難しいのですね。

若宮 はい。だから 職人は、天気などを慎重に考えて、作業します。たとえば台風が来たら、湿度や気圧が大きく変わりますから、塗りの作業はしません。

―― なんて繊細…。 どのように研ぐことができれば、ベストなのでしょうか。

若宮 漆は、固まってゆく際に引っ張り合うので、縁にはたまり、面には薄くなります。だから繰り返し研ぐことで、その高さを調整し、最終的に中央がふわぁ、とごくわずかに高くなるように仕上げられれば、よい器になります。つまり、研ぎ方を工夫することで、表面のアールを作っていくということですね。

――なるほど。

若宮 だから、これをどれだけ均一に、薄く、美しく研ぎだせるかで、漆器って、8割が決まってしまうのですよ。研ぎを繰り返すこととは、曲面の形を整える造形的な意味合いがあり、美しい平面を作り出すには不可欠な工程なのです。

――出来上がった漆しか拝見したことがなかったので、凹凸の問題がこれほどあるとは知りませんでした。何度も繰り返し研ぐからこそ、面と曲線がなめらかに美しく仕上がるのですね。

若宮 ちょうど今、下地付けの生田さんは、この作業をされています。

研ぎの作業を行う職人の生田さん

――桶の中にあるのは何でしょうか。

若宮 これは炭です。まずは砥石で研いで、平らにしてから漆の面を研ぐのに使用します。ほら、黒い部分とグレーの部分に分かれているのがわかりますか。

――このツヤっとした部分が磨いたところですね。

若宮 いえいえ、このグレーの部分が研いだところです。研ぐというのは、傷をつけることと同義ですね。高い部分に傷をつけて、低い位置に合わせてゆく行為が研ぐということです。最終的には、均一に研ぎ切りますので、すべてグレーになりますよ。

ところどころグレーになっているのが、研ぎだした部分。

――こんなに小さな炭で、ひとつひとつ手で研ぎだすとは、なんて手間のかかる作業!これを何十回と繰り返すということですよね。

若宮 そうなのです。だから、ほんとうにやりたい、という人でないと続かない。おまけに、彦十蒔絵の作品は一筋縄ではいかないものばかりですので、やる気だけあってもできないのです。

――技術が必要ということでしょうか。

若宮 たとえば、今彼女が研いでいる、このお皿を見てください。これは平皿ですが、花弁が7面あり、段差が重なっている部分はさらに多面です。単に丸いものであればだれでも研ぐことができますが、こういった多面の漆器を研ぐのは、非常に難しく、高度な造形力が求められます。

――なるほど、この段差も均一に研がなければならないからですね。

若宮 ええ。「研ぐ」とは、「造形」することとも言い換えられるかもしれません。

――「造形」というと、彫刻を作っているイメージでしょうか?

若宮 まさにそうです。だからこそ、訓練すれば誰でもできる、というものではありません。もともと造形感覚が優れた、才能をもった職人でないと、いくら鍛錬したところで彦十蒔絵の作品が実現できないのです。

――なるほど。やる気とセンスを兼ね備えている必要があるということですね。

若宮 彼女はまだ若いですが、呑み込みが早く、造形センスも抜群です。今からいろいろな作品にチャレンジしてもらい、技術を磨いてもらっていますよ。

――それは将来が楽しみですね。

若宮 そう、けれど塗りと研ぎの作業を正確に行うためには、先ほどの木地が正確にできていなければならないのです。すべての職人が微調整しながら作ることで、ようやく美しい作品が完成するのです。

――う~ん、これってもう、言葉ではなかなか言い表すことができない世界ですね。技術を習得するまでに、私だったらノイローゼになるかも(笑)。

若宮 ははは。たしかに、こういった感覚的な部分は、本を読んだり、映像を見て理解できることではないですから。才能ある職人たちが、親方に叱責されつつも、何十年も厳しい鍛錬に耐え、時にノイローゼ寸前の状況を乗り越えて、やっと感覚を掴み、習得する技術です。

――本当に、職人さんたちの汗と涙の結晶、技術の粋が注がれているということですね。

終わりに

若宮 普通の家だって1年で建つのに、こんなに小さいものに何年もかけるなんて、何をやっているんだと思われましたか(笑)?

――とんでもない。漆の希少性や、作品が仕上がってゆく工程の一部を拝見できて、作品への敬意が高まったというか。本当はもっともっと深い世界がひろがっているのだろうなと、今後ぜひ深く学んでみたいと思いました。

若宮 興味を持っていただけたようで嬉しいです。

――とくに漆をめぐる歴史、現状を知って、漆芸というものへの意識が変わりました。印象的だったのは、漆と私たちが共存してきたということ、そして自然の素材を、あれだけ高度に扱い、仕上げることの大変さ。職人みなさんが素晴らしい技術をお持ちの上に、非常に丁寧な仕事を積み重ねていらっしゃる。その様子を目の当たりにできて、とても感動いたしました。

若宮 ありがとうございます。けれど私にとって、高い技術とはあくまで表現のためなのです。技術的に高いものを作ることが目的ではなく、たくさんのメッセージを表現したいからこそ、技術を追及しているにすぎないのですよ。

――なるほど、まだまだたくさんのお話が伺えそうですが、またそれは次の楽しみということで(笑)。作品のコンセプトなどについては、また別記事でお伺いしたいと思います!

本日は盛りだくさんの内容を、本当にありがとうございました。

若宮 ありがとうございました。

(前編はこちら

(彦十蒔絵のコンセプトに関するインタビューはこちら