若宮隆志 連載 彦十蒔絵・若宮隆志は何を作り出しているのか(前編)
100以上にも上る漆芸の工程を、日本最高峰の技術をめざす職人たちが、各専門に分かれて担当しています。
これにより、今までにないほど質の高い作品の制作が可能となりました。
彼らは、棟梁・若宮隆志氏の構想をもとに作品を作り上げます。
その特徴は、従来の蒔絵の技術を継承しつつも発展させていること、
そして古典を踏まえつつも、新たな意匠・主題に取り組み、
現代的な感覚で漆芸を制作していることです。
現代漆芸界に、彗星のごとくあらわれた彦十蒔絵。
このたび、日本の工芸を「アート」として発信するB-OWNDにご賛同いただき、
参加アーティストとして作品を出品していただきました。
今回は、これまですべての作品を構想していらっしゃる、
棟梁・若宮氏が思う「つくりたい」作品とは、どんなものなのか、
そのコンセプトの部分をじっくりとお聞かせいただきます。
写真:石上 洋
PROFILE
若宮隆志
彦十蒔絵棟梁。1964年輪島市生まれ。1984年より、輪島塗の製造販売・技法などを学び、のちに彦十蒔絵を立ち上げる。2014年には平成26年度文化庁文化交流使にも指名され、国内外で多数の展示を開催している。
【取材協力】(五十音順)
塗師:生田圭
蒔絵師:大森修
蒔絵師:大森晴香
輪島漆器組合漆精製工場
工場長:関山秀信
椀木地師:西端良雄
彦十蒔絵マネージャー:高禎蓮
人の感覚、想像力に働きかけるような作品を作りたい
――今回は、これまでの作品を拝見しながら、それぞれどのようなコンセプトで作品を制作してこられたのかについて伺いたいと思います。よろしくお願いいたします。
若宮 よろしくお願いいたします。
――早速ですが、いろいろと拝見して、「見立て」の作品を多数作っていらっしゃることが、彦十蒔絵のひとつの特徴と言えるかなと思いました。今回、B-OWNDにも2点出品いただいていますね。
若宮 そうですね、《見立漆器 油滴天目茶椀》なんかはわかりやすいかな。元の作品が有名ですから。
――そう、この作品って、大阪市立東洋陶磁美術館所蔵の国宝ですよね。彦十蒔絵の「見立て」の作品は、実物に寄せながら、また別の美しさもあるというか。本作も、蒔絵の繊細な表現によって、斑紋の輝きなど光によって変わる、色彩の微妙な変化が本当に美しいです。
若宮 いつまででも見ていられるでしょう。制作にあたっては、 様々なことを考える必要がありましたけれどね。たとえば、 油滴の繊細な色彩を、蒔絵だったらどう表現できるだろうとか、あとは陶磁器って、釉薬の部分はガラス質なのです。だから、漆芸をガラスのように見せる技法をどう施そうか、など。
――そう、おっしゃるように、国宝の《油滴天目》って陶磁器ですよね。それをあえて漆芸でつくるって、アイディアがすごいなと。どんなことを意図していらっしゃるのでしょう。
若宮 いくつかありますが、ひとつはまぁ、遊び心というか、洒落です。国宝を、素材を変えて、真似てつくってみるという、それ自体が面白いなぁと。
――なるほど。
若宮 そういえば、私たち彦十蒔絵の代表作に、《犀の賽銭箱》(2013)というものもありまして、これも「見立て」、駄洒落のような作品なのですが。
――もしかして、賽銭箱の「賽」と動物の「犀」が掛かっていますか(笑)?
若宮 そうそう、言葉遊びというか、単純に駄洒落ですね。もともとは、デューラー(Albrecht Dürer,1471-1528)という16世紀の画家の銅版画に着想を得たものですが、平面のものを立体に起こして、さらに青銅塗という技法を施し、青銅器のように「見立る」ということをやったのです。
――デューラーの銅版画から参照されたとは驚きました。
若宮 陶磁器や青銅器を漆芸で作ることは、それ自体が洒落の効いた遊びというわけです。 人間の想像力の楽しさって、そういったところにあるのではないかなぁ、と思っています。
――けれど、技法はとっても難しそうですね。
若宮 陶磁器と漆芸だと制作過程は全く異なりますから、ひとつひとつ工程を考えていくことになります。たとえば、斑紋はひとつひとつ手で描いて、銀を蒔いて研ぎだすという作業になるなぁとか。一見単純な作業に聞こえるかもしれませんが、実はこの技術、完成するまでに10年以上かかりました。
――10年ですか…!それは想像以上でした。
若宮 開発中、職人も私も苦しかったですけれど、良い出来になれば嬉しさや達成感はすごいのですよ!
――作り手も楽しんでいらっしゃるのですね。所有者にとっては、国宝を手に持って鑑賞でき、さらに使用も可能、というのもいいですよね。
若宮 実用性があるのはポイントです。陶磁器と漆では、技法だけでなく、素材に差があるというのも面白いところだと思います。この作品は欅でできていますので、見た目に騙されて持ち上げてみると、驚くほど軽い。
――あ、なるほど。脳が勘違いするわけですね。
若宮 そう、人間って、その人が培ってきた経験値によって、どのくらいの重さかを瞬時に推測してしまうのです。ところが、実際に持ってみると、非常に軽い。
――はじめ漆芸の作品ということを忘れて、本当に違和感なく陶磁器だと思い込んでいました(笑)。
若宮 面白い体験でしょう。そこで自らが固定観念にとらわれていることにも気が付くし、「自分が持つ価値観って、これでいいのか」と、再確認するチャンスにつながると思います。
――そういうお考えがあったのですね。
若宮 これを契機として、改めて考え直してほしいのです。自分にとっての本当の幸せってなにかなって。それができれば、私のこの発想に共鳴を得られ、作品を通してそれぞれの幸せへの鍵を手に入れられるのではないかな。
――う~ん、深い。《犀の賽銭箱》も同じことを意図していらっしゃるのですか。
若宮 はい。青銅だと思って持ち上げると、もうこれが、めちゃくちゃ軽い。 「見立漆器」の見た目と重さといったギャップは、人を童心へ戻すことができると思います。これは、「見立て」の面白いところのひとつ。こういった作用を、今後も作品を通して開発していきたいと考えています。
自然に生かされているという感覚を表現したい
――彦十蒔絵の作品の中でも、自然に意匠を得たものには、特にはっきりとした世界観を感じます。たとえば《かぶと虫 蓋物》(2013)では、かぶと虫の上蓋を開けると、美しい川が流れていて、秋草が生い茂っている。小さな宇宙が表現されているようで、とても感動的な作品です。
若宮 ありがとうございます。
――そして面白いなぁと思ったのが、その3つモチーフの表現がそれぞれ異なることです。カブトムシはとても写実的だけれど、秋草は伝統的というか様式的。川の流れは、ステンドグラスを連想させるような表現だなと。若宮さんが様々なものを研究されていることも感じました。表現は異なりますけれど、それぞれ存在感が際立っていて、不思議と調和しています。
若宮 かぶと虫の中にある風景は、私が幼い頃過ごした田舎の様子です。水は、私たちの生活に不可欠な命の源。それがかぶと虫のお腹の中にあるという表現です。
――哲学的ですね。ちょっと抽象的な質問になってしまいますが、若宮さんご自身は、自然をどんなふうに捉えていらっしゃるのでしょう。
若宮 そうですね、やはり「自然には逆らえない」と感じています。人間は自然を受け入れることでしか、幸せになれないのではないかなと。
――どんなにテクノロジーが発達しても、やはり自然の脅威からは逃れられないでしょうね。
若宮 そうですね。そして、あの小さなかぶと虫も、厳しい自然の中で、ちゃんと魂をもって生きている。
――そう考えると、とても力強い存在に感じます。
若宮 けれど、そのかぶと虫も私たち人間も、同じように種の保存の原理原則の中で、生かされているに過ぎないのです。この原則の中で、自然の脅威にさらされながらも必死に生きているあの小さな虫のことを思ったとき、ものすごく愛おしさを感じたのです。
――その感動を作品に託されたのですね。
若宮 考えてみると、もし虫や植物が生きていけないような環境になってしまったら、絶対的に私たち人間も生きていけないのではないかな。
――たしかに。けれど現代では、そういった感覚を日々意識する機会は少ないかもしれません。
若宮 私は田舎町の生まれですし、川や山が遊び場でした。虫もとても身近な存在で…生活がどんなに便利に変化しても、その経験が忘れられません。だから、子供の頃からずっと持っているこの感覚を、作品にしようと思ったのです。
若宮 ぜひ作品を見たり、実際に触っていただきたいです。そうすることで、自然や環境について感じたり考えたりするきっかけにしてほしい。自然に意匠をとった作品には、こういった願いを込めています。
目に見えないものを感じ、考えるツールとして
――では、源氏物語など、古典から意匠を得た作品には、どのような思いを込められているのでしょうか。
若宮 そうですねぇ、ざっくり言ってしまうと、やはり人の感情に関することです。 …人の感情って、見たことありますか。
――う~ん、表情や態度から推測はできますけど…
若宮 そう、当たり前のことだけれど、どんなに親しいとしても、その人の内面っていうのは、見えるようで見えない。推測しかできないのです。だから、少し大げさな言い方になってしまうかもしれませんが、畏敬の念を持って接しなくてはと感じています。
――その人が何を大切に生きているか、考えているのか、尊重する必要があるということですね。
若宮 はい。けれど推測したり、尊重したりするには、やはり経験が必要です。それは必ずしも実体験じゃなくてもよくて、たとえば子供が絵本を読んで、この子はそうしてこんな気持ちになったんだろうって想像してみたり。
――大人はもっと複雑な感情を、文学作品を読んで味わってみたり、ということですか。
若宮 そう。掴みようのない「感情」というものを、文学作品ではよく生かしていると感じるわけです。源氏物語、伊勢物語、平家物語などの古典文学は、長い間、漆器の意匠としても登場しています。その意匠を見たときに、人はその物語を連想することによって、作者が一体何が言いたいのかを考えるわけです。
――いわゆる、読み解きですね。
若宮 はい。物語の意匠を用いることで、漆芸は、目に見えない「感情」を目に見える形で表現し、人に伝えることのできるツールとなりえるのです。
人のこころの拠り所となるものを目指して
――彦十蒔絵の作品にも、源氏物語を題材にとった作品や、その中でも六条御息所をクローズアップした作品《六条御息所》(2017)がありますね。たとえば、この作品にはどのようなコンセプトがあるのでしょうか。
若宮 六条御息所って、源氏が若いときに恋をした貴婦人なんです。
――年上の恋人でしたよね。
若宮 はい。けれど彼女は、自分が年上だということに引け目を感じていたり、でも源氏を独占したいという思いが人一倍強い。だから、深く苦悩するのです。
――嫉妬心から源氏の正妻を呪い殺してしまいますからね…。
若宮 けれど、普段はとても良い方で、物わかりもいいのです。それなのに、眠ってしまうと自分の体から幽体離脱した自身の悪い心が、人を呪い殺してしまう。
――抑えきれない嫉妬の感情が、生霊という形で表れてしまうのですよね。
若宮 そう、そこになんというか、人間の本性、内面性があると感じて。 だからこそ六条御息所って、数々の作品の題材にもなっている、いわば永遠不滅のテーマなのだと思います。
――嫉妬って人間だれしも感じずにはいられないというか。
若宮 もちろん私にもあります。 その気持ちと、今の自分をダメだと思う気持ちをいさめて、どうバランスをとっていくかということが一番のポイントなのですよ。そのために物語は存在していて、人の心の拠り所となるのです。
(後編はこちら)
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