工芸 × ブロックチェーン その可能性とはなにか 工芸×ブロックチェーン その可能性とはなにか (前編)「アートの民主化」
その技術をアートマーケットに組み込む意義や可能性について、森美術館館長の南條氏と
現代美術家・スタートバーン代表取締役の施井氏のお二人に様々な視点から語って頂きました。
聞き役はB-OWNDプロデューサーの石上です。
対談の前半で「ブロックチェーンとアートの民主化」について、
そして後半では「アーティスト側のメリット」について、
ぞれぞれの見解と持論が展開されています。
今回の記事は前半パートの「ブロックチェーンとアートの民主化」です。
TEXT BY SHINPEI HIGASHI
PROFILE
南條史生
1949年東京生まれ。72年慶應義塾大学経済学部、76年文学部哲学科美学美術史学専攻卒業。国際交流基金、森美術館副館長などを経て2006年11月より森美術館館長に就任。
施井泰平
1977年生まれ。東京都出身。幼少期をアメリカで生活する。多摩美術大学絵画科油画専攻を卒業後、2003年ころから「インターネットの時代のアート」をテーマに作品を発表しはじめ、ネット上のプロジェクトと並行してギャラリーや美術館など、実空間での展示も行うようになる。2007年から2011年まで東京藝術大学にて教鞭をとったのち、2014年、東京大学大学院在学中にスタートバーン株式会社を起業。美術家として活動する際の名義は泰平。Geisai#9 安藤忠雄賞、ホルベインスカラシップ奨学生など賞歴多数。
石上 ブロックチェーン技術を実装したアート売買のプラットフォーム。この新しい仕組みの意義や可能性について、南條先生はどのように見ておられますか?
南條 作家が作品の情報を広く社会に知らしめ、より大きなマーケットを形成するということであれば、現時点でも別にブロックチェーンがなくても、インターネットに上げていけば拡大しますよね。また、評価の問題であれば、アイドルなんかがやっているように投票システムを作って、みんなの「いいね」がたくさん付いたものが〝いい作品〟だと決めれば、民主主義的評価になる。でも、そうしたこととブロックチェーンの問題はまた違うと思いますね。
施井 おっしゃるとおりです。インターネットがもたらした革命によって、たしかに今いわれた民主主義的な投票がパブリックになったみたいな部分はあります。そのインターネットでの評価の問題とブロックチェーンの問題ってよく混同されるんですけど、ブロックチェーン上ではドライな、客観的なデータが残ることになります。評価というのは、いわばウエットな情報だと思うんですけど、それをどこまでブロックチェーン上に記述すべきかというのは議論のある問題です。
南條 うーん。ブロックチェーンに評価を載せる必要があるかなあ?
施井 僕はどちらかというと、評価っていうのは書かない方がいいと思っています。あくまでドライな記述で、「この人はどこでどんな展示をしました」「いつ誰がこの作品を買いました」っていう情報だけが残ればいい。なぜなら、その時代時代で見方が変わってくるからです。今の時代だとこの人がすごいエリートに見えるけど、100年後の人から見たら保守的な人に見えたりとかする。同じデータでも、評価っていうのは時代時代によって変わってくるだろうなと思います。それがたぶん自然な形だと僕は思っています。
南條 評価と評論も違うからね。評論っていうのは主観的だし、その時代時代に紐付けられていると思うけど、評価っていわれると客観的なんだろうと思ってしまう。けれども美術品の評価というのは一つの客観的な指標ではない。
施井 そうですね。
南條 たとえば美術評論家がいっている評価と、マーケットが出してくる評価と、違うわけですね。コマーシャルな評価と、学術的な評価と、歴史的評価と、まあいろんな評価があって、これが特に作品が登場した最初のころはバラバラなわけです。たとえばゴッホは生前に多くの人には評価されなかった。マーケット的にも評価されないし、作家としても評価されない。だから生きているあいだには一点しか売れなかった。しかし100年後には何十億円になってる。つまり死後、それはたった一人かもしれないけどテオのような人がこの作品は大事なんだと信じて、後世に残し、その後マーケットの評価はついてきましたということになる。また平行してアカデミックな評価も上がってきましたと。このように歴史を見ると、異なった評価軸の評価が、最終的にはかなり収斂し、一致してくるんじゃないかというのが僕の仮説なんだけども。
施井 なるほど。
石上 施井さんはブロックチェーンによって「アートの民主化」ができる可能性があるのではないかということをいわれていますね。
施井 はい。
南條 「アートの民主化」といった場合に、ブロックチェーンがどのように民主化を助けることができるのかでしょう。さしあたってインターネットに情報を上げるという行為は、既に民主化を助けているような気はしますね。
僕が知っている若い作家でも、自分が制作中の作品の写真をどんどん自身のサイトに上げていくわけです。そして、彼はどういうわけか若手のコレクターの人たちにつながっている。そうするとね、作品が完成する前に作品が売れてしまうんですよ。そういうことが起こっている。当然、みんな直接買うから中間搾取が一切ない。チャットしてて、「その絵いいね」とかいうと「完成するのは2月ごろになっちゃいます」、でコレクターが「それっていくらなの?」「250万です」「わかった。250万ね、買うよ」
って、みんなが見えている状態でやりとりが進むわけです。これはものすごく民主的だと思うんだけど、これはブロックチェーンがなくてもできちゃう。
で、むしろそこから先の価値の保証をブロックチェーンがやるんだろうなと思うんですよね。
施井 そういう意味では僕は10年前から「アートの民主化」っていってて、ブロックチェーンが出る前からそういう仕組みを作ろうと思ってたんですね。逆にいうと、僕がやろうと思っていてできなかったことで、今はできると思ってる部分が、ブロックチェーンならではの要素なんじゃないかなと思うんですけど。おっしゃったように、ウエブ上でウエブサービスを利用して何かを開示する、何かを販売するというのは既に可能なんですね。だけど、多くのアートの人たちが求めているような、たとえばサービスを横断していくこととか、そこに現れないものがそれ以外のところに記述されるとかいうのは、ウエブ上ではなかなかコントロールが難しいのです。たとえば投稿していたブログが閉鎖されてしまったら、アーカイブは残りません。あるいはツイッターというのは投稿したものに編集ができないんですけど、フェイスブックは編集ができますね。過去を編集できるというか、やろうと思えば「自分はすごかった」というのを編集することができてしまう。
南條 そうですね。
施井 改ざんが不可能な半永久的に残る、そしてネット上のサービスを横断していくような仕組みは、ブロックチェーンで十分に実現可能になる部分があります。今はまだブロックチェーンが始まってもいない時代なんで、インターネットの成熟期とブロックチェーンの黎明期が似たような感じになってしまっています。 でも、この延長線上には、かなりブロックチェーンならではの価値のコントロールだったりとか、売買の固有のマッチングができたりとか、インターネットだとちょっと雑だなと思われていたものが、結構丁寧にできるようになるんじゃないかなと思います。
「アートの民主化」のメカニズム
石上 施井さんがいわれたように、ブロックチェーンでは改ざんが不可で、何かを変更した場合には「変更した」という情報が残ります。そういった要素によって信用度が担保されるんじゃないかって僕は思ってるんですが。
施井 そういう意味では、「公証役場」的な存在にもなるだろうと思います。アートの世界でも、現状できちんとした管理がなされているのは、いわばヒエラルキーの三角形の頂点にある作品だけです。卑近な例を挙げると、たとえば僕の多摩美時代の同級生の作品って、誰も管理していないし記録も残っていない。それは本人にも自分の作品は「作品」だという意識がそれほどないところがあるから。なぜかっていうと、「財」として「作品」として流通していないから、そもそも緊張感がなかったりするわけです。作品の情報を世に出す場合に、ブロックチェーンはそういう意味では公証役場みたいなところがあって、「こんな作品ができました」「登録しました」っていうのが、半永久的に刻印されます。私的なウエブサイトに出すのとは意味が違ってくる。登録された瞬間から、あらゆる作品が「作品」になるという面はあるかもしれませんね。
南條 先ほどいわれた「アートの民主化」というのは、 どういうメカニズムをいっているんですか?
施井 まず、民主化っていうのは難しい言葉だなと思います。たとえば美術館というのは特権階級だけでなく老若男女あらゆる人に開かれているので、既にアートは民主化されているともいえるわけです。しかし一方で、プレーヤー側はどうか。アーティストもコレクターもギャラリストも批評家も、そういう立ち位置になることのハードルはめちゃくちゃ高いですよね。そこが変わっていく可能性があるのではないかということです。
それこそ既存のジャーナリズムに対してのツイッターだったり、エンタテインメントにおけるユーチューブみたいな感じで、もう本当にまったくハードルがなく誰もが入っていける仕組みが存在しています。ジャスティン・ビーバーは今世界的なミュージシャンになっていますけど、もともとはユーチューバーでした。そこから人気が出て、世界的な評価を得るミュージシャンになった。それはなにもエンタテインメントのレベルが下がったのではなく、いってみれば末端にいた人がツールを使って上まで上がっていったわけです。 こうしたことの起きる可能性が、僕の中では「民主化」だと思っています。株式でも、今ではネット株式とかが生まれたことで、ローカルな場所に住んでる引きこもりの人が株で儲けたみたいな世界になっています。ところが、アートコレクターとかはそういう道筋がないに等しい。そこを考えると、そういうプレーヤーの部分ですね、鑑賞者じゃなくて、アーティストやコレクター、さらには批評する人も、もっと出てくる場所が広がっていくというのがあるんじゃないかなとは思っているんです。
南條 コレクターにおける民主化っていうのは、誰もがアートを買えるっていう意味ですか?
施井 手もとのお金に余裕があったとしても、ダミアン・ハーストの絵が買えるかっていうと、なかなか大変なハードルがありますよね。金額の問題だけでなく、マーケットの閉鎖性もあるわけです。先ほど述べたように、言論や音楽ではインターネットのテクノロジーでいろんなジャンルで民主化がされてきたけれど、アートに限っていえばやっぱりコントロールの難しさがあります。特に二次流通のコントロールが難しい。ギャラリーとかもなかなかEコマース(電子商取引)に乗り出さなかったりとか、価格を公にしたくないとか、ありますよね。アートの価値をちゃんと担保しようとするがゆえに、そういうマスに向けた売買っていうのがなかなかできなかった側面があるのです。
南條 うんうん。
施井 ブロックチェーンの可能性があるなって思っているのは、たとえばこうしたアートの流通のもうちょっと詳細なコントロールができるっていうところです。今までなら、作品を10個買ってきた人にこの作品を売りますみたいな形で、いいコレクターに渡るようにギャラリストがコントロールしていたのかもしれない。そういうのもブロックチェーンだと自動的に管理ができます。転売目的で買われることを防ぐために、そういった売買規約をあらかじめ入れておくこともできるし、買う側に対してもそういうのの与信がつけられたり。そういう細かい流通のコントロールができると思います。
南條 そのことで既存の関係者が不利益を被るようなことにはなりませんか? 僕はそれでもいいと思うんだけど、敵が増えそう。
施井 たとえばサザビーズさんならサザビーズさんの顧客の中で、このコレクターさんはこういうのが好きだろうというような情報があると思います。今までは、それぞれのサービスのあいだに距離があった。僕らがやろうとしているのは、ブロックチェーンにはパブリックで共有すべき情報を置くことです。そこから紐づいている各サービスは、ブロックチェーンを使うことで業界全体にとって有益な情報は共有して、一方で自分のサービスにとって秘匿しておきたい情報は公開しないという選択もあっていいと思っています。これはまだ仮説の域を出ないのかもしれませんが、少なくとも構造上、サービスを横断して情報を共有できるところに、僕は可能性を感じています。
(後編へ続く)