家でアートを楽しむオンラインイベント「Stay at Home with ART」 「Stay at Home with ART」企画第4弾 漆芸家・若宮隆志氏とオンライン説明会を開催しました(後編)
輪島の漆芸家・若宮隆志氏によるオンラインの作品説明会では、作品にこめられたメッセージ、
漆や漆器にまつわる伝統や日本文化の古層につながる話題など、多岐にわたる話をお聞きしました。
PROFILE
若宮隆志 彦十蒔絵プロデューサー。1964年輪島市生まれ。1984年より、輪島塗の製造販売・技法などを学び、のちに彦十蒔絵を立ち上げる。2014年には平成26年度文化庁文化交流使にも指名され、国内外で多数の展示を開催している。
第2回 5月18日(日)開催 『ユーモアシリーズ』
蕭白のおかしさ、奇怪さを蒔絵にする
- 第2回はユーモアをテーマにした作品について、作家の若宮隆志さんから作品解説とそこに込められた意図などについて紹介していただきました。
ところで、みなさんは曾我蕭白をご存知でしょうか?曾我蕭白は18世紀の日本の画家で、「狂人」と称されるほど、奇妙で奇怪な作風を持つ奇想の絵師として紹介されます。今でこそ知られるようになってきましたが、同時代の円山応挙、池大雅、鈴木春信、伊藤若冲といった著名な画家たちのなかで、一般にはあまり馴染みのない画家でした。若宮さんはこの曾我蕭白の代表作『群仙図屏風』をモチーフに香炉をつくられています。曾我蕭白は若宮さんにとってどのような画家なのでしょう。
若宮 曾我蕭白が好きなんですよね。曾我蕭白は独特で特徴的、ありえないものを描く人なんです。今回、作品のモチーフとした『群仙図』もそうです。神に近い存在である仙人を描くとしたら、普通はきちんと描きますよね。しかし、蕭白はおもしろおかしく描いているんです。もっとも、蕭白の絵は『群仙図』だけでなく、すべての絵がおかしいのですが。
尾形光琳が亡くなり、伊藤若冲や丸山応挙などが活躍した時代の1750年あたりが、曾我蕭白の生きた時代です。京都のその時期の芸術的な高まりと、名だたる画家たちのなかで、他との違いを出すために特別な表現方法を用いたのかもしれません。それが、おかしさ、気持ち悪さ、突飛さとなって現れたのだと思われます。
この『群仙図』に描かれた人々は、どれもおかしいんです。肩を組んでじゃれあっている子どもたちの顔はかなりふざけています。普通は描かないというほどにおかしいです。白いカエルが背中に乗っている蝦蟇仙人(がませんにん)もそうです。蝦蟇仙人というのは中国の仙人で、いろいろな絵師が画題にしているのですが、こんなに変なものは他にないと思います。しかも女性が蝦蟇仙人の耳をほじっています。普通の仙人ではありえないおかしさです。不老長寿を意味する西王母という仙人も、娼婦のようだと評価されているんですね。きちんと描くべきと思われているものをおもしろおかしく表現してしまう。蕭白のその部分に惹かれます。
共通言語としての物語
- 若宮さんによるとかつては、絵師というものは皆こうした物語を絵にしていて、蒔絵師はその絵をもとに蒔絵で表現する人たちだったので、時代の隔たりがあるとはいえ、現代の蒔絵師である若宮さんたちが、過去の絵師が描いた物語を作品にすることは、なんの不思議もないのだそうです。
若宮 たとえば、キリスト教を理解している人が見れば、宗教画のそれがどのシーンなのか、どのような意味を持っているのかを理解できるように、当時の日本の蒔絵も、共通言語を持った人であれば、描かれたシーンが和歌、万葉集や古今集、物語の何を表現したものかがわかったわけです。源氏物語でいうと、そこに根曳きの松があったり、鶯がいたり、梅があったりすれば、情報を持っている人にすれば、そこがどの場面かはっきりわかります。蒔絵というものは、そういう風にできているものだということをわたしは学んできました。その古典的な方法論をもう一度、現代で再チャレンジしてみたいのです。それがこの作品に込めたメッセージでもあります。
現代では、アートは自分のオリジナルな表現ということになっていますね。誰も見たことがない色、誰も見たことがないデザインが重視されます。でも、もともとはメッセージを伝えるという重要な役割があったので、誰でもわかることが必須でした。「誰でも」といっても、万人がわかるということではありません。たとえばいつも和歌を読んでいる人たちだったら分かる、というような条件が必要な、あるコミュニティのなかで限定的に流通している情報なわけです。そういう小さなコミュニティのなかの特別なものとして、蒔絵の調度品があったんです。だからこそ自慢できるものだったわけです。
こうしたコミュニティのなかで、その人物がどういう思想を持った人物なのかを見抜こうとするとき、その人の美意識が、その人物を探る手がかりになります。その人が選ぶもの、その人の解釈を通してその人を知る。その手段がアートだったのです。そういう意味でいけば、蕭白を選ぶこと自体がわたしの自己表現になっています。あえて蕭白、さらにいえば、あえて『群仙図』を選んでいる、というのは、すでにわたしの自己表現、美意識であり、この人はすごいなぁという、リスペクトの思いの表現になるのです。
権威の象徴「蒔絵」をユーモアに変える
若宮 かつて蒔絵は権威の象徴でした。平安時代には公家、鎌倉時代になって武士、江戸時代になると庶民にも普及していきますが、それでも蒔絵は高額で権力の象徴ですので、それを持てる層は限られていました。常に上段に構えたものですから、ふざけたものは描かないし、そこにユーモアを求める人もいなかったわけです。特に漆器は手間も時間もコストもかかりますし、10年も苦労して習得しなければならない技がたくさん詰め込まれていますので、適当なものを「ちょっとつくってみようか」というわけにはいきません。
ですが、昭和の高度経済成長のなかでモノの時代になり、平成になってハードからソフトへと変わってきました。まだまだハード重視のところも残っていますがが、そろそろその価値観は変わっていくと思っているんです。その象徴として、今まで権威を表してきた漆器、蒔絵をユーモアに変えていきたいんです。
超絶技巧でユーモアを表現する
- 若宮さんと彦十蒔絵の作品には、まさにユーモアの塊ともいえる『リラックス・シャーペイ 矢立』があります。中国の犬種であるシャーペイが、ゆったり寝そべりながらボリボリとせんべいをかじっている。そんな滑稽な造形が、いわゆる超絶技巧でつくられています。
なんでもこのデザインは、インターンで工房にやってきた金沢工芸大学の学生さんが考えたもので、テレビを見ながらせんべいを食べているお母さんから着想を得たのだとか。 生活から出てきたモチーフを、高価な蒔絵で作品にしようとは普通考えません。ですが、現代だからむしろこれをやろう、と思ったのだそうです。
若宮 まず、ヒノキを削ってボディをつくり、肉が溜まって段々になっている感じを出し、そこに漆を塗りました。全体に金粉を蒔いてあります。きちんと蒔けばピカピカに光るんですけど、シャーペイは「砂の皮」という意味で、日本風に言うと鮫肌でしょうか。それをイメージしているため、わざとザラザラに表現しています。単にザラザラなだけではつまらないので、螺鈿の花柄のパジャマを着せていますが、その蒔絵が皆研出しという、研出し蒔絵の技法を使っているんです。緑色、黄色に見える花の部分を60倍のレンズで拡大すると、2、3mmの小さなところに金粉の粒をうまく蒔いて、そこに色を乗せているのがわかりますが、特別な技法なんです。座布団の唐草文様は1㎟よりも小さな金の小さな板を少しずつつないでいます。
青いところは夜光貝を細かくして100、200枚ではきかない数のパーツを貼っているんです。角度によってキラキラ光ります。花の柄の部分は全体的に金粉をふわっと撒いてあり、そこに蒔絵を施してあります。
若宮 そして犬が持っているせんべい袋には、「わじませんべい」と書いてあります。輪島には本当は塩せんべいがあるんですけど、それだとせんべいらしくないものですから、海苔のついているシンプルなせんべいにしました。このせんべい袋のなかに、広島の熊野の職人さんにつくってもらった三段式の筆が入っています。この筆にも螺鈿が施されています。螺鈿を貼って、漆を塗り、磨いています。このせんべいの袋を引っ張ると、袋が取れて、なかに筆が入る、という構造になっています。
ユーモアを担ってきたのがアートである
- 超絶技巧をもって、ユーモア作品をつくってしまう。この姿勢は、圧倒的な画力をもっておかしい作品を生み出していた曾我蕭白と通じるものがあります。伝えたい本質があり、誰かにそれを伝えるときにはユーモアが重要である、と若宮さんはおっしゃいます。今回のトークのなかで、ユーモアとその必要性を若宮さんはこんな風に分析されています。
若宮 ユーモアの一つはギャップだと思います。だから、先ほどの曾我蕭白の絵とやっていることは似ているかもしれません。もっとちゃんと描いてよ、とわたしも言われますが、蕭白も言われたのではないでしょうか。でも、そのユーモアを面白いな、と思ってくれるが少しでもいればいいんです。大量生産、大量消費にするつもりはまったくなく、共鳴する誰かが見つかればわたしは幸せで、満足なんです。何万人に評価されるより、こんなに変わったことをしていてとても面白いね、といわれる方がすごく嬉しいんです。
現代は豊かな時代です。勉強して、仕事をして、戦って何かを獲得していく辛さはあるけれど、食べてはいける。もう、うむを言わず働くしか生きる術がなかった時代、物があることが幸せだった時代ではありません。しかし、そうだからこそ逆に、自分の役割、やることを見つけられないという、豊かな時代だからこその苦しみが生まれるようになりました。精神的な教育が満たされていないし、宗教も特に持たないので、生きる指針がない。何が正しいのか、どう生きたらいいのかわからないのです。そこに絶望感と不幸があります。そんなときだからこそ、ユーモアが救いになるのではないかと思います。そして、それを担ってきたのがアートなのではないでしょうか。
第3回 5月19日(火)開催『ぐい呑シリーズ』
たたら製鉄と漆の関係
- 第3回は『ぐい呑シリーズ』についてお話をうかがいました。
ひときわ異彩を放っていたのが、輪島の猿鬼伝説の鬼を描いた鮮やかな朱のぐいのみです。猿鬼伝説は、ときどき里に降りては悪さをする猿鬼とその退治を伝えるものですが、第3回は、この猿鬼と漆芸のつながりについての興味深い考察から始まりました。
若宮 今から40年ほど前、柳宗悦の民芸ブームの時に発掘され、脚光を浴びたお椀に合鹿椀(ごうろくわん)というものがあるんですね。これをつくっていた地域には猿鬼伝説が伝わっています。
江戸時代に木を倒すには役所の許可が必要で、許可を得た人が、許可をもらった山で木を切り倒し、それをお寺さんとかお宮さんに使っていました。つまりとても神聖な仕事だったんです。その残った材料でお椀をつくっていたのが轆轤師(ろくろし)、木地師です。この木地師は集団で、全国各地の山から山へ歩いていた人たちですね。この人たちと、たたら(古代から近世にかけて行われていた製鉄法)の職人さんとが一体となって動いていたのではないか、というのが、わたしたちの推測なんです。たたらをすると火が熱いため顔が真っ赤になりますよね。その人々が村に降りてきて悪さをすることがあったかもしれませんし、時に軋轢が生じたかもしれません。村の人たちは自分たちとはまったく別の生活をしている人々を、自分たちと異なる存在として見ていて、それで、鬼退治の伝説などが伝わっているのではないかと思うのです。そうした地域の伝説を蒔絵にしたのが『本朱 猿鬼 ぐいのみ』です。
- このたたら製鉄は、実は漆芸とも深い関わりがあります。現在は硫酸化鉄という水に溶ける鉄を用いて黒漆をつくりますが、かつては、この玉鋼(たまはがね)の酸化を利用していたのだそうです。戦後の占領政策のなかで途絶える寸前となったたたら製鉄は、辛うじて奥出雲の地で今も年3回、行われています。若宮さんは実際にその製鉄に参加し、玉鋼を使って黒漆をつくられています。
若宮 このぐいのみのなかには鬼がいて、そこにお酒を注いで飲むわけですが、それはつまり、鬼を自分が飲んでしまうということです。よく人前に出る舞台の上で緊張しないように、人という字を手のひらに書いて飲み込む。舐めるのではなく、飲み込みますね。日本人はもともと飲み込むということにとても意味を持たせていて、嫌なことでも悪いことでも、何でも、自分ではどうしようもないことを飲み込む、という考え方がありますので、人をはるかに凌ぐ鬼を飲むことで、強くなれる、という思いを込めています。
宇宙を表象する
- 続く作品は『宇宙ぐい呑』です。漆黒のぐいのみのなかに施された蒔絵の細かさと美しさが、とにかく目を引きます。
若宮 この作品の木地にはケヤキを轆轤(ろくろ)で削り、燻煙乾燥という手法が用いられています。燻煙乾燥とは、燻(いぶ)すことによって木のなかに煤(すす)を吸い込ませ、木地を長持ちさせる方法です。下塗りには輪島地の粉という輪島産の珪藻土が使われ、その上に、何度も漆を塗って磨き、できた黒いぐいのみに蒔絵が施されていきます。細かく切った金や銀の板、そして螺鈿が緻密に貼り付けられたこの作品も、蒔絵の技巧の粋が表れています。
この文様は宇宙を象徴しています。中央には、古くから宇宙の中心と考えられてきた北極星を置いています。その周囲に東西南北、子(ね)、牛(うし)寅(とら)、卯(う)と時間を入れて、時間と方位で宇宙を表します。その周囲に丸型の螺鈿を、最初に6個、次に12個、24個配置しています。それぞれ十二ヶ月であり十二支、二十四節季を表しています。こうして、宇宙を形、理屈の中に収め込んだ中国の古い考え方を反映させています。
宇宙を飲み込む
若宮 先ほどの「鬼を飲み込む」と同じように、このぐいのみにも、お酒を注いで飲み干すことで、宇宙を飲み込むという意味を込めています。小さなことに悩んだら、宇宙飲み込んでしまえばいい、というメッセージです。
裏側を見てください。「彦」とサインが入っている位置は、こぐま座の尻尾、つまり北極星なんです。自分がこの宇宙の中心だ、とあえて主張しているんですね。自分がいくら目標や目的、願望を持ったとしても、なるようにしかなりません。そうしたとき、豊かさとか幸福感をどう得られるかにアクセスしていかないと、解決できない問題が存在してしまいます。そのヒント、考え方の秘訣のようなものは、実は漆のなかにあります。わたしにとってはそれが、宇宙を飲み込んでしまえ、ということなんですね。
皆、宇宙は外にあると思っています。でも、本当は自分が宇宙なんです。自分が宇宙で、この宇宙とつながっているということを体感するための1つの道具が、このぐいのみです。どんな嫌なことがあっても、それでも自分はこの世の中心だから、と思えれば、たいしたことではなくなります。嫌なこともそういうマインドの作り方をここで表現しようとしているんです。
若宮 12,600年前から漆は日本で使われ、ずっと日本人と一緒に発展してきました。漆はこうした考え方と共にあったのだと思います。
今、その本来の漆が生き残れるかという危機感があります。ですので、もう一度漆というものを理解してもらうことが、わたしたちの幸せにつながるのではないかと、今、本気で考えています。
第1回から第3回まで、一連のイベントでは、民俗学の話から現代アート論、環境問題など多岐に渡ったテーマが語られました。話題のなかで登場した人々も柳田國男にはじまり、ウルグアイの元大統領であるホセ・ムヒカ、鬼の研究で知られる吉野裕子、そして哲学者の鈴木大拙と幅広く、参加者の皆さんとの話も多方面に展開していきました。
今回、そのすべてをお伝えすることができませんが、漆自体やその作品に込められたメッセージや日本古来の考え方などに触れ、少しでもこの困難な時代を生きるときのヒントになれば嬉しいです。
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