家でアートを楽しむオンラインイベント「Stay at Home with ART」 「Stay at Home with ART」企画第4弾 漆芸家・若宮隆志氏とオンライン説明会を開催しました(前編)

漆芸家
「よりよく生きるための知恵」、「人間らしく生きる」とはどういうことなのか。
輪島の漆芸家・若宮隆志氏によるオンラインの作品説明会では、作品にこめられたメッセージ、
漆や漆器にまつわる伝統や日本文化の古層につながる話題など、多岐にわたる話をお聞きしました。
文・構成 ふるみれい

PROFILE

若宮隆志

彦十蒔絵プロデューサー。1964年輪島市生まれ。1984年より、輪島塗の製造販売・技法などを学び、のちに彦十蒔絵を立ち上げる。2014年には平成26年度文化庁文化交流使にも指名され、国内外で多数の展示を開催している。

第1回 5月17日(日)開催『泉鏡花シリーズ』

鏡花作品に通底する民俗的な要素

- オンライン作品説明会は、石川県・輪島の工房・ギャラリーと結んで開催されました。第1回は、泉鏡花がテーマです。

泉鏡花といえば、石川県が生んだ明治後期から昭和にかけて活躍した作家・劇作家です。その作品は神秘的で浪漫的、独特の世界観が今なお人を惹きつけています。同じ石川県、輪島で作品づくりを行う若宮さんにとって、泉鏡花とはどのような存在なのでしょうか。

若宮 泉鏡花に最初に興味をもつきっかけとなった作品は「高野聖」でした。「高野聖」の舞台は、富山から松本に抜ける天生峠で、民俗的なモチーフが散りばめられています。もともとわたしは民俗的な話が好きだったんですね。うちは農家でしたので、朝明るくなると仕事に出て、暗くなったら帰って、夜は夜で、夜なべの仕事があって、親も子も家族と接する時間がほぼほぼないんですね。でも、たまたま雨が降ると家の人がいる。当時小学校4年生頃までテレビ もなかったので、唯一の娯楽は祖父の話を聞くことだったんですね。それでわたしは物語好きになったんだと思います。その物語というのは、平家物語だったり、地域の民話、村の伝説がほとんどで、祖父の頭の中にはそれがぎっちり詰まってたんですね。泉鏡花の作品にも同じ民俗的な要素が詰まっている。それで鏡花に惹かれたのだと思います。

祖母の教えにも鏡花とつながるものがあります。田舎で生まれ育っていますから、たとえば、子どもの頃、蛇なんかを見つけると、追いかけていって叩いたり蹴ったり、石をぶつけたりするわけです。そういうとき、祖母に「蛇をいたぶると、次に生まれてきたときに人間になれないよ。畜生になってしまうよ」と言われていました。『高野聖』にもたくさんの蛇がでてくるのですが、祖母から言われたこと、鏡花が書いていることには、共通するイメージがあるんです。

輪島に高洲山(こうしゅうざん)という山があります。輪島で一番高い山です。この山開きでは、神主さんがお祓いをして、一番初めに男性が入ります。かつては女人禁制といって、山に女性が入ってはいけないことになっていました。山に登る道は山道といいますが、これは女性の産道とかけ合わされています。すべてがそこから生まれる、わたしたちを生かしている水や衣食住のすべては山からのいただき物、という発想ですね。

ここから、山は女性なので、山に女人が入ると山が嫉妬をして祟りが起きる、という考え方につながります。この祟りは、洪水として現れてくるのですが、これがまさに高野聖の話なんです。山を女性として擬人化して理解しようとした先人の知恵なのだと思います。こうした知恵は、明治の時代まではきちんと理解されていたのでしょう。

『高野聖』は、この蛇、女性、水のつながりを作品のなかに織り込んでいるのです。 民俗学者の柳田國男は、泉鏡花が亡くなったときに「これで日本の民俗的なものをテーマに小説を書ける人がいなくなった」と悲しんだそうです。そのくらい、泉鏡花は民俗的なことを背景に小説を構成しています。それがわたしにとっての鏡花の魅力の一つです。

社会への批判的な視線

- 話題は、泉鏡花の『化鳥(けちょう)』に移ります。

作品のモチーフに取り上げられた「鮟鱇(あんこう)博士」は、『化鳥』の登場人物です。『化鳥』は鏡花作品のなかでもそれほど有名なものではありませんでしたが、中川学(がく)さんが絵本にしたことで、知られるようになりました。作品にも、中川さんの「鮟鱇博士」の絵が使われています。

泉鏡花 作・中川学 画『化鳥』
《鮟鱇博士 化鳥 盃(大)》表
泉鏡花の小説「絵本化鳥」から中川学さんの原画を蒔絵で挑戦!
江戸から明治に変わり価値観が大きく変化する時代を生きた泉鏡花の小説には、わたしたちが忘れてしまった目に見えないもの事の大切さを感じさせてくれる。
《鮟鱇博士 化鳥 盃(大)》裏

若宮 この作品は、飾りとしても使えるぐいのみです。表には鮟鱇博士を、裏の部分はコウモリ傘が川にポッチャンと落ち、お猿さんがいるというシーンを蒔絵で表現しています。「鮟鱇博士」は、いい洋服、いい帽子を身につけています。「鮟鱇博士」は身分の高い人なんです。でも、橋を渡る場面で「鮟鱇博士」は、払わなくてはいけない通行料を払わずに通ろうとしだし、自分はこんなに偉いからお金など払わなくていいのだ、というようなことを言うわけです。これが、鏡花によるある種社会的、政治的な批判の一つなのではないか、それは今の時代にも通じるものなのではないか。こう読み解くと、とても面白い作品になるのではないかと思ったんですね。それで、この「鮟鱇博士」をモチーフに選んだんです。

鏡花の話は、人間性についてテーマにしたものが多く、地位や名誉、肩書よりも、目に見えない美に着目します。目に見えない人の心の正しさといったものをいいたい作家なんです。それにもかかわらず、そうではない時代がやって来てしまった。江戸から明治へと時代が移り変わるなかで、本当に人間として大事なことは何かを問おうとしたのだと思います。わたしもそこに共感して、そのストーリーを蒔絵で描いています。

- 人間の内面性を描くのに、人間ではなく動物を描いているのはなぜなのでしょう。

若宮 それは、次の作品にもつながる主題です。この作品の表には悲しげな雰囲気の猿廻しのおじさんが描かれています。それに対し、裏にはお姉さんに猿がミカンをもらっているシーンです。猿廻しというのは、お金を入れるものが猿廻しの前に置かれていて、芸を見せてもらったお礼として小銭を入れるというしきたりになっていますよね。この作品で鏡花が言わんとしたのは、心がなくなり、ただ、本能だけで行動してしまうと畜生になってしまうということなのではないかと思います。当時の社会を批判しているんです。

この批判も今の時代にも通じるものだと思いますが、ものづくりをする者が、社会や政治的なことをテーマにするのはあまりおしゃれではないので、鏡花の話をテーマにすることで、わたしもそうしたことを伝えていければ、と思っています。

《盃 極薄 化鳥蒔絵 傘》表
中川学氏が描いた絵本「泉鏡花の化鳥」を蒔絵の技法でチャレンジ。
悲しげな雰囲気の猿廻しのおじさんが描かれている。
《盃 極薄 化鳥蒔絵 傘》裏
お姉さんに猿がミカンをもらっているシーン

目に見えないものを信じる力

- 畜生になってしまった人間。鏡花は彼の時代と人々をこう批判的に見ていました。では、人間を動物と比べたときに、人間らしさはどういったところにあると考えていたのでしょう。若宮さんは、それは、目に見えるものを信じる力にあると言います。目に見えないものを信じる力は人間だけに備わったものです。人間は、神や仏、妖怪や幽霊などを信じてきました。これは人を信じる力にも通じます。人間が人間らしく生きるということは、信じる力にかかっているともいえます。そして、若宮さんは、「信じる力を信じて、想像力を膨らませること」の重要性を指摘されます。食べ物を貪り食うだけでは畜生になってしまう。鏡花作品にあるこのテーマは、現代にも通じるものです。

若宮 わたしたちは自分のことは自分で決めているつもりになっていますが、実は自分が決めていないこと、自分では決められないことがたくさんあります。生きること、死ぬことも自分が決められるわけではありません。こういうままならない人生を生きているのに、そこに気づかなくていいの?というところが、鏡花の言わんとするところなのではないでしょうか。

わたしがつくっている作品も、すべて問いかけです。今話していることを言葉で表現するというのは非常に難しいですが、作品を通して伝えることができる。そして、わたしの考えるところを鏡花が一番代弁してくれている。それで鏡花をテーマに選んで漆芸で表現しているのです。わたしがつくっているのは漆器ですが、わたしが一番みなさんに伝えたいことは、その表現ではなく、漆器のなかにあります。わたしたちものづくりをする人間も食べていかなければいけない。職人さんがいるので仕事も取ってこなければならない。注文をもらわなければ生活できないというのは当然の話です。そのなかで、よりよくものづくりを続けていくためにはどうしたらいいのかを日々考えています。

生きること自体、そもそも辛いんです。シェイクスピアも「人は泣きながら生まれてくる」と表現しています。本来辛い人生をどう転換して楽しくするのか。それは、気持ちの切り替えでしかありません。今よりもっと生きることが厳しかったかつての人たちが、一生懸命信仰したというのは、心の拠り所を探っていたということなのでしょう。日本人の場合、それが民俗にあるわけです。それは八百万の神がさまざまなところにいて、人が見ていなくても神様がちゃんと見てるよ、というような宗教観があったり、生きているだけでそれ自体が幸せなのだと考えられるスイッチを持つ、ということであったりするのではないでしょうか。

仕事をしていると厳しい場面はたくさんある。わたしたちもそうです。でも、一生懸命やっているんだから、ダメならダメでいいじゃないか、それは自分が決めることではなくて、世間が決める、神様が、自然が決めることなんだ。もしそういう考え方が本気でできたら、とても楽になります。この考え方は日本にあって、わたしもその考え方を利用しています。こうやってものづくりができるだけで幸せ、土俵に上がって試合ができるだけで幸せ、と、思えれば、幸せなわけです。もちろん売れないとローンも払えないので本当は困るわけですけど(笑)。そういった考え方が泉鏡花のお話には、含まれていると思います。漆芸を通じて、それを伝えていければと思っています。

>>後編はこちら<<

この記事でご紹介した作品