コレクターズインタビュー めざすのは最高のもてなし|飲食業の実業家に聞くアート・工芸の活用とその未来(前編)
そう語るのは、中国・北京で日本料理レストラン『東也』を営む実業家・谷岡一幸氏。
今回のコレクターズ・インタビューでは、そのライフヒストリーに貫かれた信念と、
アートに造詣の深い「食の経営者」だからこそ重視する「器」へのこだわりについて、
コレクターとして、そして実業家としての双方の視点で語っていただきました。
PROFILE
高級飲食店などを経営する実業家と器の関係
谷岡一幸氏は、長年の間幅広い飲食業に携わり、現在は北京の地で最高級日本食レストラン『東也(Toya Beijing)』をはじめとした飲食店を経営する実業家です。
日本の伝統工芸品を数多く展示した内装はもちろん、最高の料理とこだわりの器との調和は、中国の財界・芸能界をはじめとした多くのVIPからも高い評価を受けています。
実は『東也』という店名は、唐津焼窯元の鏡山窯・井上東也氏の名前に由来があります。
器にこだわる飲食店は多くあれど、扱う器の膨大さや、それらがすべてオーダーメイドである点などにおいて、谷岡氏のレストランは他とは一線を画していると言えるでしょう。そのこだわりの根底には、アートへの情熱、そしてアーティストの創作活動への敬意と深い理解があるのです。
飲食業界へは8歳から | 情熱と努力で切り開いた自らのキャリア
—そもそも谷岡さんが飲食の道に進まれたのには、どのような経緯があったのでしょうか?
谷岡 父方の親戚が割烹と仕出し屋をやっていまして、8歳くらいの頃から手伝っていたんです。盆や正月の休みもほとんどありませんでした。卵焼きを一日中ひたすら焼き続けて、具合が悪くなったこともあったくらいです(笑)。
でも、寝るのがもったいないくらい食の世界が好きで、好きでたまりませんでした。こうした背景もあって、飲食業界に自然と携わるようになりました。
—そうだったんですね。高校を卒業されてからは、どのように過ごされていたのですか?
谷岡 高校を卒業してからは、昼は熊本県で90年以上続く歴史ある中華料理店で働きながら、商学を勉強するために夜学で大学に通いました。学費や生活費を自分で工面する必要があったので、本当に大変でした。そして、25才のときに銀座の三ツ星レストランに飛び込んだんです。
—ご経歴を見ると、イタリアンの料理人だけではなく、ソムリエ、店舗開発など飲食に関わる幅広いキャリアをお持ちですよね。
谷岡 そうですね。料理人なら料理人、ソムリエならソムリエと、ひとつの分野にしぼって修行される方が多いのですが、私は飲食業界のすべてに興味がありました。また、お金と時間から解放されて、自分の成し遂げたいことに全力で集中したかったので、将来は独立しようと20代から考えて進路を選択していました。
だから、料理人からソムリエに転向するときも、「人の3倍努力して、3年でやめよう」と決めていました。同じことを何年もやり続ける方が楽なんですが、私の性に合わなくて、、。その後、飲食店やホテル開発、店舗で働くスタッフの人財育成など飲食業界に関わることなら、苦手な仕事であってもチャレンジし続けたんです。
そのなかで、点と点が線になり、線と線が面になって、飲食業界の全体を俯瞰できるようになりました。これが今の自分の強みになっていると思います。
—最初から飲食業界を俯瞰できるようなキャリアの歩み方をしようと思われていたのでしょうか?
谷岡 当時は世の中がまだ終身雇用制だったこともあって、「職を転々と変えることは良くない」という風潮がありました。ただ、この流れはいつか終わると思っていたんです。だから、他人と同じことをやっているだけでは埋もれてしまう、自分の市場価値を磨いていかないと……。
実はそのころから、分野を横断して何でもできる人財がほとんどいないことに着目していました。いずれ、優秀な人財は他店からヘッドハンティングされるのが当たり前の世の中になる。それもあって、大局観で飲食業界を見つめながら、「飲食人」としての総合力を習得できるキャリアを選択してきました。
妻の一言をきっかけに、新天地・北京での挑戦を決意
—谷岡さんは中国を舞台に飲食店を展開されていらっしゃいますが、海外に目を向けるきっかけは何だったのでしょうか?
谷岡 きっかけは妻が北京出身だったことですね。日本にいた頃はサラリーマンとして仕事中心の生活を送っていたのですが、ある日、妻から「仕事と家庭のどちらをとりますか?」という究極の選択を迫られまして……笑。
それで、両方の道に繋がる北京に進出することを決めました。当時、中国市場が拡大している時期でもあったので、このまま東京にいるよりも成長できるような気もしたんです。
ちなみに、当時の経営資源は「情熱」だけでした。ヒト、モノ、カネと、何もないところから全てを開拓するしかなかったんです。
—まったく何もないところから新しいことを始めるには、並々ならぬ「勇気」がいると思います。谷岡さんの勢いというか、その「情熱」はどこからきているのでしょうか?
谷岡 「絶対にやり遂げる」という強い意思ですね。そのうえで、目指す未来を映像で見えるくらいイメージして、そのために必要なことを徹底的にやり抜く。全体を俯瞰しながら、目の前にある課題を解決し続ける。ただ、必死にやり続けるだけなんです。企画して即実践、成功するまでやり遂げるというトライアンドエラーの繰り返しです。
自らの仕事を通して、どれだけの人を幸せにできるか
—新型コロナウィルスの感染拡大に伴って、飲食業界も大きな打撃を受けています。このあたりについて、何か思われることはありますか?
谷岡 そうですね。飲食業界だけに限らず、今、日本、そして世界中で苦境に立たされている事業者が大勢いらっしゃると思います。僕自身も実業家として試されている時期と言ってもよいかもしれません。
ただ、未曾有の脅威が発生した際に、そこに振り回されるのか、それとも新たな道を切り開くのか。太極を見極め、何をやるのか、これからの生き方を選択する。ここが勝負の分かれ目だと思っています。
—まさに、「いつ、どこで何が起きるのか、だれにも分からない」という予測不可能性が露わになった時代において、だれもが先行きの不透明さに自分の色を出して立ち向かう必要があると思います。とはいえ、簡単にできることではありませんよね……。時代を振り回していくような気概というか、主体性を発揮するポイントはどこにあるのでしょうか?
谷岡 そうですね。主体性を発揮するには全ての行動に「何のためなのか?」という目的観を明確にすることが大切なのではないでしょうか。僕は人間の価値を測るものさしがあるとすれば、それは一生で「自分以外の人をどれだけの数幸せにできたのか?」にあると思っています。
僕の場合は、飲食の世界ですから、飲食に関わることを通してお客様を幸せにする。ここは時代が変化したとしても変わらない。全ての産業はサービス産業であるし、お客様の喜びが自らの喜び、その喜びを明日への活力源にできる人が活躍する業界なんです。職業の社会的なステータスはどうでもいい。眠るのがもったいないくらい熱中できることをやる。職業選択ではなく、生き方の選択だと考えています。
また、最近では、飲食業界で培ってきたノウハウや経験を共有したいとの想いから、飲食の道と書いて「飲食道」というYouTubeチャンネルを開設しました。個人でも情報発信できる時代になったからこそ、自分のできることから始めてみようと思っています。
https://www.youtube.com/channel/UC3LazUHVOf_ev7ppBaRRjRw
—答えのないところから、自分自身に問いかけ、新しい価値を創造していかれる姿には、アーティストが作品を生み出すものと近いものがあるように感じました。後編では、「器」という視点から谷岡さんのアートに関する想いやB-OWNDにご参加くださっている陶芸家・市川透さんとの出会いについて伺いたいと思います。本日はありがとうございました!
【市川透・個展のお知らせ】
今回取材させて頂いた谷岡氏は、B-OWND参画アーティスト・市川透氏のコレクターでもあります。その市川氏の個展が、下記の日程にて開催中です。
「市川透 陶展」
日時:2021年2月20日(土)~28日(日) 11:00am – 6:00pm
場所:東京・浅草 「浅草ギャラリー とべとべくさ」
詳細は、下記のウェブサイトをご覧ください。
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